目次
お役立ち情報
「携帯電話」
父島ではドコモ・AU・ソフトバンクとも使えます。
ただし、山の中や海上では電波が届かない場所もあります。
村内の個人住宅・事業所には村のインターネット端末が整備されています。
「銀行・郵便局」
七島信用組合と農協・郵便局があります。
いずれもキャッシュカードが使えます。
「テレビ」
東京キー局の民放はすべて映ります。東京MXも。
「ラジオ」
基本的には、入りが悪い、あるいは使えません。(ごく一部聴取可能)
「昼休み」
小笠原の公的機関は通常12:00-13:30までお休みです。
村民課窓口はオープンしています。
「休業日」
商店は基本的に1便に1回、出港中にお休みがあります。
「郵便・宅急便」
内地へ送る荷物はゆうパック かクロネコの宅急便が使えます。
出港日当日の朝までに出せば、その便に載ります。
「防災無線」
村民や観光客に有益な情報が流れます。注意してください。
入・出港時間の変更や台風情報など。
「めがね・コンタクト」
予備を持ってきたほうが無難です。
めがね・コンタクトを取り扱うお店はあります。
「買い物」
食料品の店は日中の営業だけで(7~8-18時ころ)、
佐藤商店が6:30-深夜でちょっとしたコンビニのような役割です。
「予約」
パックツアーは小笠原海運(おがまるパック)・ナショナルランド
小笠原ツーリストなどで取り扱っています。
船、宿、遊び、切符を自分で手配する方も多いようです。
正月・GW・お盆は非常に混み合いますので、早い時期からの予約が必要です。
特に切符は発売当日すぐに売り切れです。
「花粉症」
春に悩ませられるスギ花粉症は、この島ではありません。
僕も長年内地で悩まされていましたが、移住してからは症状が出ません。
(春に内地に行くと再発します。)
ただし、敏感な方は、他種による花粉症はないとはいえません。
観光客の方へ
小笠原ではキャンプができません。
島内にはゴミ箱はありませんので、各自持ち帰りを。
持ち出し・持ち込み禁止植物があります。ご注意を。
山から動植物や戦争の遺物をもってくるのはやめてください。
海から生きた貝やサンゴを持って帰るのも禁止されています。
釣りは食べる分だけに。
フィールドに出かけるときは飲み物(水)を忘れずに。
車やバイクを借りる予定の人は免許証を忘れずに。
位 置
小笠原・父島は東京から南に約1000KMのところにあり、
北緯27度・東経142度に位置します。
さらに南に50KMのところに母島があり、
父島から北に40-50KM以上はなれてケータとよばれる聟島列島があります。
父島は伊豆諸島の八丈島からまだ700KMも南にあります。
近年、噴火を続ける西之島は父島から西に130㎞ほどの所にあります。
視界良好だと噴煙が見える日もあります。
歴 史
小笠原諸島は1593年に小笠原貞頼が発見したと伝えられています。
貞頼は実在の人物ですが、島にわたったという証拠となるものはなく、
あくまでも伝承と考えられています
記録に残るのは、1670年に漂着した阿波の浅川浦の船が最初です。
その後、江戸幕府が1675年に嶋谷市左衛門らが探検を行っています。
これを通称、延宝巡検隊と呼んでいます。
19世紀ごろにはアメリカなどから捕鯨のため、小笠原近海に来るようになり、
1830年にマザロやセーボレーらを代表として、
英米及び、ハワイから20数名が最初の定住者となりました。
彼らは捕鯨船に食料や飲料水を供給することで、生活を営むつもりでの移住でした。
1853年にはペリーが来島し、島民にコロニー議定書を作成し、自治を促しました。
すでに定住者がいる状況を幕府も知り、1862年に咸臨丸を派遣し、
日本の属島であることを宣言した上で、開拓を開始しました。
しかし内憂外患により数年で中断しました。これを通称、文久の巡検隊と呼んでいます。
1875年、明治政府は調査団を送り込み、
本格的な開拓は、翌年1876年からはじまっています。
対外的に、日本であることが認められたのもこのころです。
その後徐々に島民も増え、紆余曲折はあったものの、
農業や漁業を中心に、発展していきました。
大東亜戦争がはじまり、昭和19年(1944)に強制疎開となりました。
硫黄島では地上戦となり、玉砕してしまいました。
幸い、小笠原諸島は地上戦には至りませんでしたが、
当時の名残が今でもあちこちに残っています。
戦争後、米軍統治となったため、欧米系島民以外は
1968年の返還まで帰島ができませんでした。
東京都小笠原村
小笠原村としては小笠原群島(父島列島・母島列島・聟島列島)のほか、
日本最南端の沖ノ鳥島や最東端の南鳥島、
玉砕の地・硫黄島を含む火山列島、噴火を続ける西之島などから成り立ちます。
ただし、一般住民が定住しているのは、現在父島・母島の2つだけです。
小笠原村は東京都に属しますので、
車は品川ナンバー、警察は警視庁なのですが、ちょっと違和感があります。
基本的にほとんど方言はありませんが、もともと八丈からの移民が多いので、
若干はその影響がある部分もあります。
また本来、欧米系の移民が先に定住していたので、
当然今も、顔立ちの違うその子孫が多く住んでいます。
交 通
小笠原へは現在、小笠原海運のおがさわら丸しか交通手段はありません。
浜松町の竹芝桟橋から6-7日に一度小笠原父島に向けて出航。
ノンストップですが、片道約24時間。
父島で3泊したあと、東京へ戻ります。
そのため、5泊6日の旅になります。
(繁忙期はまれに4泊便もあり、そのときは6泊7日)
母島へは父島から接続で、さらにははじま丸に乗り継いで、2時間ほど。
航空路は、
一般島民にはまだ、はっきりと先が見えていません。
島内の交通は路線バスがあり、1時間に一本程度、
大村(町)から小港の往復と町中の巡回運行を行っています。
繁忙期は臨時便も出ます。
気候と服装
小笠原は亜熱帯の気候です。
夏の日差しは強烈で、炎天下は地獄のような暑さですが、
海洋性気候のため、最高気温は30-32度ぐらいで、
海上や森の中はそれほど暑く感じません。
また、日が暮れたあとはわりと涼しい風が吹きます。
夏の格好は短パン・Tシャツ・サンダルで十分です。
サングラス・日焼け止め・帽子なども必要です。
夏場でも山に入る場合は、長ズボンや長袖の方が望ましいですが、
やや気温が高いのと、危険な生き物やかぶれるものが少ないので、
自己の判断で、短パンや半袖シャツでもかまわないと思います。
ただし、蚊がいますので、虫除けスプレーを忘れずに。
靴も必需品です。サンダルはダメ。
冬場でも、気温は20度近くなりますので、
それほど寒くなく、快適です。
長ズボンに薄手の長袖、フリーズ程度で十分です。
ただ、冬場に船で海に出る方は防寒が必要です。予想以上に冷えます。
雨量は全般的に少なく、東京より少ないくらいです。
雨の多い時期としては、梅雨5初旬-6月中旬と秋口11月で、
夏場は局地的なスコールが時々あります。
台風については、一般的に8月以降が多いのですが、
最近は台風動向も不順で、いろんな時期にやってきます。
また、台風が発生すると、うねりが入って、海況が悪くなります。
自 然
2011年、世界自然遺産登録されました。
かつて陸は、「東洋のガラパゴス」といわれていました。
ほとんどの島が遺産登録地となっています。
かつて大陸とつながったことのない海洋島で、
生態系は独特なもので、非常に固有種の多い島です。
維管束植物では160種類程度の固有種があり、
動物では、オガサワラオオコウモリ・メグロ・オガサワラノスリなど、
十数種類が天然記念物となっています。
海は国内随一のきれいな海で、ダイバーがあこがれる海でもあり、
イルカ・クジラのいる海でもあります。
水中は、サンゴがあまり大規模に発達していないので、
岩礁主体で、回遊魚やサメの多いダイナミックな海となっています。
もちろん、サンゴの多いところは海中公園に指定され、
サンゴに根付く魚もたくさん見ることができます。
イルカはハンドウ・ハシナガイルカを通年見ることができ、
ザトウクジラは繁殖シーズンの冬場12-5月に、
マッコウクジラは父島の南東沖合いに夏から秋にかけて、よく見ることができます。
小笠原はアオウミガメの繁殖場所にもなっていて、
ほとんどの浜が繁殖場所として利用されています。
夏場の夜、浜辺に産卵にやってきます。
夜には、光るキノコの「グリーンペペ(ヤコウタケ)」や
オガサワラオオコウモリ・オカヤドカリ・夜光虫とともに、
満天の星空や天の川、流星なども楽しめます。
島はもともと、火山活動とその後の隆起によって成り立っており、
大部分が断崖絶壁で、枕状溶岩という、火山活動の名残を見ることができます。
南島はさんご礁が隆起・沈降してできた大規模な沈水カルスト地形で、
素晴らしい景観のところでもあります。
旬な季節
小笠原の夏は一般的に5-10月、冬は12-3月ぐらいで、
その季節を考えるとおのずと、旬な時期が見えてきます。
「海」
5月から10月いっぱいが海にはいい季節で、
ベストは梅雨明け(6月中旬)以降から7月いっぱい。ただし、水温の低い年もあります。
8月以降は台風やそのうねりが心配。台風の影響がなければ、9-10月もベスト。
冬場は海が荒れやすくなります。
ダイビングやドルフィンスイムも海のいい時期が適しています。
クジラはザトウが2-4月ころ、マッコウが8-10月ころが旬です。
アオウミガメやカツオドリは夏場が繁殖時期。
「ケータ」
父島から北に40-60km離れているので、海況のいい夏場です。
サメ穴のシロワニやマグロ穴のイソマグロは5-8月くらいまでが数が多いようです。
「山」
海とは逆で、涼しくなる11から4月くらいまでが快適に歩けます。
5-10月は気温が高めなので、蚊に気をつけて、薄着で。
「植物」
樹は基本的に一年中常緑で、暖かいので、花も一年中見れます。
とは言うものの、6月ころ、島の花のムニンヒメツバキが一斉に咲くので、
山はこの時期がいちばん華やぐときです。
真夏の8月は自生植物の花はわずかしかありません。
「夜」
星空は年中素晴らしいですが、月のある夜はやや星が見にくくなります。
グリーンペペは4-11月くらいまでが確実に見れます。
オオコウモリは通年どこかで見られます。
産 業
一見、観光業や農業・漁業が主体のように見えますがが、
実は公務員・土建業の占める割合が非常に高くなっています。
9月以降の下期は、島中で公共工事がはじまり、
いたるところで工事現場が見られるのはこの島も同じです。
小笠原は米軍占領時代や硫黄島の問題もあるので、
都や国からかなり予算がつき、かなり公共事業に投資されています。
父島には村、都、国の行政機関がそれぞれあり、
学校も小・中・高とそれぞれありますので、公務員の占める割合も高くなっています。
公務員が出勤する8時ころや昼時には道路はちょっと込みます。
生 活
「人口」
現在、定住人口は父島が2150-2160人、母島が460人程度で、
合わせても、2600人程度で非常に小さな社会です。
このため、しばらく島に住んでいると、かなり顔なじみが増え、
一目で、島民と観光客の区別がはっきりわかるようになります。
世代としては、都会と同じようにわりと若い20-30代が多いように感じます。
そして、子供も多いようです。
「治安」
島では盗難ということがほとんどない治安のいいところなので、
家や車にカギをかけない人も結構いるようです。
ただ、自転車は飲み屋などで盗まれることはあるようです。
探せばたいてい見つかります。
また交通事故以外の事件もほとんどないようです。
ちなみにおまわりさんは警視庁で、しかも父島はちゃんと警察署。
「衣」
小笠原は年中気温の高いところで、
着飾ることも必要がないので、基本的にお金がかかりません。
冠婚葬祭も、普通の格好でも、なんとかなります。
ただ、冬場に内地に行くときに着るものがなく困ってしまいます。
衣類はお店がありますが、通販で購入することが多いようです。
普段の履物はギョサンといわれている
ちょっと固めのサンダルの人が多いのが特徴です。
「食」
島の中での、食生活は基本的に内地からきたものを食べています。
おがさわら丸で約6日に一度、食料品が入荷します。
そのため、入港日はみんな夕方お買い物日です。商店は大忙し。
地元の農作物や魚は、内地に出荷するのと生産がやや少ないので、
手に入りにくいです。
父島では小祝で島魚が、農協の直売所で島の野菜・果実が手に入ります。
「住」
持ち家を持っている島民は少なく、
大部分の島民は都営住宅に、公務員は職員住宅に住んでいます。
アパートはワンルームタイプがほとんどで、6-8万円が普通です。
島では住むところがネックで、働き口のある場合はそこで社宅・寮を用意してますが、
そうでない場合は見つけるのがかなり困難です。
「教育」
公立の保育園から小・中・高まであります。
高校は都立なので、ちゃんと入学試験があります。
母島には高校はないので、高校は父島で寮住まいとなります。
高校を卒業すると、ほとんどは内地で進学します。
そしてそのまま就職となるパターンが多いようです。
「医療」
島には診療所がありますが、簡単な治療程度で、
大きな怪我や病気は対処できません。
緊急を要する場合、自衛隊に要請して、
水上飛行艇あるいは救難ヘリコプターで東京まで、運んでもらいます。
出産においても、基本的には島での出産は勧められず、実家帰りとなります。
船の乗船が8ヶ月くらいまでで、その時期に戻ることになります。
以上。
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