硫黄島・南鳥島
写真クリックできるものは詳細紹介があります。
硫黄島や南鳥島は可能で行くことはできません。
何らかの業務で行った際に、
島内視察することは状況により可能です。
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2007年訪島事業
2007年村主催訪島事業での訪問
慰霊や島内視察を行った -
「行幸啓記念」碑
1994/2/12、
上皇・上皇后(当時、天皇・皇后)が
慰霊のため行幸啓された。 -
摺鉢山
標高170m
山頂付近まで車で行ける
硫黄島が一望できる
別名・パイプ山 -
硫黄島戦没者の碑
(天山慰霊碑)硫黄島北部、海軍天山壕の上にある
硫黄島戦没者の碑(天山慰霊碑)。
この慰霊碑は
1971年(昭和46年)国(厚生労働省)によって建立。 -
鎮魂の丘
硫黄島中央部台地の南端にある
「鎮魂の丘」。
ここには都が建立した「鎮魂」碑がある。
慰霊碑の正面には摺鉢山が遠望できる。
竣工は昭和58年(1983年)8月31日。
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再会記念碑
南海岸付近の高台にある「再会記念碑」
米国海兵隊第三第四第五師団協会と
硫黄島協会によるもの
戦闘40周年を記念して、
1985年(昭和60年)建立。 -
擂鉢山ふもとの海軍十四糎砲
摺鉢山のふもとに残る
本来は露天ではなく、
コンクリートで覆われていたはず -
陸化したコンクリート船
コンクリート船は
西海岸に港湾整備のため沈められたもの
隆起が続き、
完全に陸化してしまった -
陸化したコンクリート船(2)
コンクリート船は
西海岸に港湾整備のため沈められたもの
隆起が続き、
完全に陸化してしまった -
米軍M4中戦車「シャーマン」
内陸部に残る
米軍米軍M4中戦車「シャーマン」残骸 -
海軍大坂山十四糎平射砲
海軍大坂山砲台1番砲
四十口径十五糎平射砲
当時はコンクリートで覆われていた -
第一御楯隊特攻隊出撃前夜の会議室
海軍第一御楯隊特攻隊出撃前夜の会議室
時期によっては他の用途にもなっていた
周辺に弾頭、戦車砲塔部、機関砲なども -
海軍陸戦隊本部付近の九六式二十五粍機銃
硫黄島基地近くには
海軍陸戦隊本部として使われた構造物がある。
コンクリートの頑丈な建物である。
その建物の脇には
九六式二十五粍機銃と思われるものがある。
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千鳥付近の海軍八糎砲
千鳥付近の海軍八糎砲
トーチカの中にある -
南海岸トーチカに残る機銃
南海岸付近
海軍単装九六式二十五粍機銃か?
破壊されたトーチカ内にある -
鹿島建設事務所脇の米軍機残骸・日本軍火砲など
鹿島建設事務所脇に置かれている
米軍機残骸・日本軍火砲など
詳細情報は不明
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西大佐戦死の碑「捧西大佐部隊戦士之霊」
硫黄島東海岸付近にある、西大佐の碑。
西大佐(バロン西)は
このあたりで戦死したとされる。
ほとんど草木がなく、
黒砂が広がる火山の大地という感じの場所。
碑の正面は桜の絵とともに、碑文がある。 -
バロン西関連記事(マルベリーblog内)
バロン西に関する記事を書いたマルベリーのblog紹介。
硫黄島、本別町、書籍など。 -
銀明水・・水がしたたりたまるところ
銀明水は北東部(東海岸)にある。
海に近い崖地の縁にある大きな岩の空洞に、
水がしたたりたまる場所。
水はかなり澄んでいる。
そばには貯水槽もある。
兵隊さんはこの水を最大限活用しただろう。 -
米軍上陸記念壁画
硫黄島北部の土丹岩に掘られた
米軍上陸記念壁画。
米海軍設営隊が
「硫黄島の戦い5周年慰霊祭」で彫った壁画とのこと。
モデルとなる絵は、硫黄島の戦いで、
上陸した兵士が、摺鉢山に星条旗を掲げるところ。 -
硫黄が丘
島の中央部の台地上にある硫黄が丘。
そばまで行くと、
火山活動が活発なのが一目瞭然。
噴出場所まで行くと、
噴煙が上がり、中の水分はぶくぶくしている状態。
さぞかし高温なのだろう。 -
クサトケイソウ(外来種)
硫黄島で野生化するクサトケイソウ
トケイソウ科・外来種
果実は食用になる -
ムラサキチョウマメモドキ(外来種)
硫黄島で野生化
マメ科 -
ハシカグサモドキ属の植物(外来種)
硫黄島基地の草地で野生化
アカネ科ハシカグサモドキ属 -
キバナハギ(オオミツバタヌキマメ)・外来種
硫黄島で野生化
マメ科 -
ヒメフウチョウソウ・外来種
硫黄島の草地で野生化
フウチョウソウ科 -
タヌキコマツナギ(外来種)
硫黄島で野生化
マメ科 -
ナガミハマナタマメ(自生・広域分布種)
硫黄島で自生
マメ科 -
南鳥島
「日本最東端」碑「日本最東端」碑
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北硫黄島調査上陸
2009年
広島大学植物調査のサポートで上陸。
運搬や調査補助をした。