小笠原マルベリー

「豊臣秀長  ある補佐役の生涯」(堺屋太一)


 

「豊臣秀長  ある補佐役の生涯」(堺屋太一)

 

概要

 

1985年発行、「豊臣秀長  ある補佐役の生涯」(堺屋太一)。

全一冊 豊臣秀長 | 堺屋太一著 | 書籍 | PHP研究所

 

初めは上・下2巻で発行されましたが、

のち全一冊で発行されています。

 

豊臣秀長、

豊臣秀吉の弟ですが、歴史の表舞台には出てこない人。

しかし、秀吉には絶大なる信用が置かれていて、

No.2(番頭)として、人生を全うした人物です。

 

残念ながら、病死で、秀吉より先になくなりました。

秀吉がおかしなことをしだしたのは、秀長がなくなってからだとか・・・

 

さてこの秀長、秀吉の補佐としてNo.2で人生を全うしています。

補佐と言っても、行動は一緒というわけではないので、

様々なところで、トップとしても動いているのです。

もちろん、大名となり領地をもらっていますから、そこでもトップです。

そうした彼の生き様がよく描かれています。

 

No.2はトップの無理難題にも対処しなければいけません。

人を動かし、財政をやりくりしてと、様々なことをうまくこなした秀長は、

秀吉以上にトップにでもなり得た人物かもしれません。

 

秀吉は、人たらしなところや、先の展望など、

秀長以上のものをもっていたからこそ、

秀長も死ぬまでついていったのでしょうね。

 

もし秀吉が先になくなっていたらと仮定すると、彼はどうしたでしょう。

きっと秀吉の跡取りの補佐に徹したんだろうと思います。

 

 

 

 

 

 

No.2について

 

秀長は、No.2であり続けた人物。

決してトップになる野望はありませんでした。

秀吉の一の子分であり続けたのです。

 

本書は

No.2のあり方を考えるヒントとなるいい書だと思います。

 

No.2は

いずれトップになるための修行という見方・立場の場合もあります

 

補佐役に徹するのか、のちにトップを目指すのかは、

どちらが正解かは、その時々で違うでしょう。

 

本書は

No.2に徹する生き様の書であろうと思います。

 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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