大正10年3月5日植立、父島要塞第二地帯標(夜明山)
目次
概要
父島は大正末期より
父島要塞となっていました。
父島要塞築城史 (ogasawara-mulberry.net)
父島の山中には、
それを記す標石の父島要塞地帯標が複数箇所で残る。
古いものは
大正10年3月5日植立のものがある。
夜明山には
第二地帯標が残っている。
すでに記事にしているが
境浦付近には第一地帯標が残っている。
地帯標のある場所は
下記の資料を見ると、おおむね合致するのが分かる。
要塞地帯法実施の件 (archives.go.jp) (p74-82あたり)
大正10年4月23日付で
要塞地帯標植立の報告もなされている。
他に中山峠などでは
昭和16年に設置されているのもある。
これはさらに調査を要する。
夜明山の要塞地帯標
書かれている文字は
正面が「父島要塞第二地帯標」、右側面が地点番号「第十九号」
左側面は日付で「大正十年三月五日」、後面は「陸軍省」である。
正面上部は英語で、
S.M.(Strategic Mark Monument 戦略監視の碑)
2nd Z. = SECOND ZONE
これは
「 1だと、1st Z. = FIRST ZONE
2だと、2nd Z. = SECOND ZONE
3だと、3rd Z. = THIRD ZONE 」
正面が「父島要塞第二地帯標」
右側面が地点番号「第十九号」
正面が「父島要塞第二地帯標」
左側面は日付で「大正十年三月五日」
左側面は日付で「大正十年三月五日」、
後面は「陸軍省」
正面上部は英語で、
S.M.(Strategic Mark Monument 戦略監視の碑)
2nd Z. = SECOND ZONE
これは
「 1だと、1st Z. = FIRST ZONE
2だと、2nd Z. = SECOND ZONE
3だと、3rd Z. = THIRD ZONE 」
見るには
この場所は観光ルート沿いではないので、
ご紹介はできない。
観光ルートで要塞地帯標が見られるのは、
中山峠だけである。
ここは戦跡ツアーではなくて、
森歩きで行くことが可能である。
戦跡ツアーでも行くことは可能だが、
往復で1時間以上はかかる。
なお中山峠は「第二地帯標」です。
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