小笠原マルベリー

山中に残るサッポロジャイアンツ瓶


 

 

 

概要

 

父島の山中に、

サッポロジャイアンツ瓶の残る場所がある。

サッポロビール – Wikipedia

 

僕が知っているのは2か所で、それぞれ1本ずつ。

 

これは明らかに戦後の瓶。

1963年から販売されていた。

小笠原の返還は1968年だから、

そのころは販売されていた時代。

その瓶は

どういう経緯でそこの残るのかは不明。

 

 

1ヵ所は鉄塔のある場所なので、

鉄塔建設時は人が活動してた場所。

 

ひょっとしたら、

そのあたりで懇親会でもしたのかなと想像する。

 

もう1ヵ所は軍道沿いで

まったく戦後その近くは人の活動はない。

 

ふもとから運んできたとしか考えられない。

ただしなぜそこにあるかは不明。

 

 

 

 

 

 

サッポロジャイアンツ

 

これは1963年から発売されていた。

 

容量は1957㎖で中身は黒ラベルと同じ。

大瓶は633mℓだから、3本で1899mℓ。

おおむね大瓶3本分。

 

2000年ごろまでは販売されていたよう。

現在は販売していない。

(終了時は不明・要調査)

サッポロジャイアンツがいつまで販売されていたのか知りたい。

 

 

 

 

 

 

現地の瓶

 

 

千尋岩ルートの瓶

 

瓶の肩口には刻印

上段 ★ SAPPORO BEER   (サッポロビール)

下段    TIME HONORED SIONCE 1876 (古く1876年から)

 

 

夜明山の瓶

ラベル付き

 

 

商品名 サッポロジャイアンツ

 

容量が1957mℓとわかる

 

 

 

 

 

見るには

 

 

1ヵ所は千尋岩ルート、

もう1ヵ所は夜明山。

 

千尋岩コースと戦跡や森歩きで紹介している。

 

興味のある方はリクエストを。

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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