小笠原マルベリー

小笠原新治碑は移設された?


 

小笠原新治碑は移設された?

 

概要

 

東京都指定有形文化財「小笠原新治碑」は

扇浦小笠原神社そばにあります。

(碑のタイトルは「小笠原嶋新は里の記」)

https://bunkazai.metro.tokyo.lg.jp/jp/search_detail.html?page=1&id=415

 

となりには同じく文化財の「小笠原開拓碑」があります。

こちらは明治政府によるもの。

https://bunkazai.metro.tokyo.lg.jp/jp/search_detail.html?page=1&id=416

 

小笠原新治碑、開拓の意義を説いたもので、

幕末に開拓に入った幕府によるものです。

 

その碑は、はじめに設置したところから、

後年、現在地に移設されたと考えます。

 

 

 

 

 

移設と考えた理由

 

当時の絵図では、この碑はかなりふもとに設置されています。

どう見ても、今の場所より下の平らなところ。

 

現在は坂道少し上った平らなところにあります。

明治政府の碑の方が目立っています。

 

新治碑は岩場に据えてあって、

設置部分はセメントで張り付けたようにも見えます。

 

僕の移設説、真実はいかがでしょう。

もっとほかに資料が出てくることを期待します。

 

 

 

 

絵図

 

幕末の頃(1862-1863)

平地のところに碑があります、絵図手前は海岸

 

上図 碑の部分の拡大 

(上記資料は小笠原教育委員会所蔵 小笠原島図絵付録一巻)

 

 

 

 

現地の様子

 

明治政府の碑の左奥にあるのが新治碑

 

新治碑  

地上部はセメントでつけようなあと

 

 

 

 

行くには?

 

扇浦海岸からすぐです。

 

ツアーで訪ねることもあります。

景観、歴史ツアーなどで訪れます。

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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