小笠原マルベリー

大分県姫島「金城丸遭難忠魂碑」(’25/5月訪問)

 

 

概要

 

’25/5月、

大分県姫島村姫島「金城丸遭難忠魂碑」訪問。

①meiji.pdf

 

この碑は

観音崎「仙人堂」付近の尾根上に建立されている。

 

<仙人堂>

 

 

<観音崎周辺>

 

資料によると、

「1905年(明治38)8月22日、

 軍用船金城丸(2038総トン)は、

 英国バラロング号 (4192総トン) と姫島灯台付近で衝突。

 その結果、金城丸は沈没して、

 旅客及び船員41人死亡、124人行方不明となった。」

①meiji.pdf

 

この資料と碑文では

死亡や行方不明者の人数にやや違いがある。

 

碑は1907年(明治40)8月22日建立、

元帥侯爵山縣有朋書となっている。

 

 

 

 

 

碑裏面文章

 

 

日露の役台湾守備の任にありし小堀陸軍少佐以下159名

明治38年8月22日下関より

機関船金城丸に乗船し宇品へ帰港中

同日午後10時濃霧のため

これより北4海里の沖合において某外国船と衝突し

わずかに2分時間にして船体全に沈没し

乗員21名船員18名を除き

他は盡(じん・しん、すべてという意味)に溺死せり

実に稀有の惨事なり

ここに相謀り碑を建て永に忠魂を弔意す

維時(これとき)明治40年8月22日

 

*原文はカタカナ、数字は漢字、旧字、

 改行や句読点はなし

 

 

 

 

現地の様子

 

 

碑全景

 

碑正面

 

金城丸遭難忠魂碑

元帥侯爵山縣有朋書

 

 

 

碑裏面

 

碑文は上記別項目に説明

 

 

 

 

 

姫島について

 

 

 

この時、姫島は初訪問。

姫島村ホームページ|大分県姫島村

姫島村 – Wikipedia

ガイドマップ | 大分県姫島村

 

姫島へは国東市伊美港から20分ほど。

港から沖合によく見えている。

交通アクセス(フェリー運航情報) | 大分県姫島村

 

島内では電気自動車を借りて巡った。

半日ほどで主要観光ポイントを巡った。

レンタカー | 大分県姫島村

 

 

 

 

 

 

参考記事

 

 

島旅レポート

 

 

国内旅レポート

 

 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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