小笠原マルベリー

「戦中派 死の淵に立たされた青春とその後」(前田啓介)

 

 

概要

 

2025年10月発行、

「戦中派 死の淵に立たされた青春とその後」

(前田啓介)。

『戦中派 』(前田 啓介)|講談社

前田啓介『戦中派 |講談社現代新書

 

戦中派のおもに著名人の生き様を、

戦前から戦中、戦後を追った作品。

 

時期ごとに分けて、

彼らの心情が書かれている。

 

彼らの人生は

「よりよく生きるか」から「いかに死ぬか」となり、

のち「いかに生きるか」となった。

 

戦中のあたりを読んでいて、

戦争で生きのびるのは

運、体力、気力がかなり大きな要素と思えた。

 

戦後、生きのびた人々には、平和にもかかわらず。

苦悩を持ち続けたことも、感じられた。

またそういう人たちが、

戦後の日本を支えたのも事実である。

 

そういう彼らの心情を、

戦後生まれの僕らが知っておくのは大切かもしれない。

(ほぼ亡くなっている世代ではあるが)

 

ちなみに本書は500ページ近くある。

楽しい文章ではないので、

全文を読むにはかなりの気力が必要。

 

 

 

 

 

戦中派

 

 

戦中派という言葉は、

小熊英二氏によると、1955年ごろから広まった。

「ものごころついたときから戦争のなかにいた」と記す。

 

著者の定義(本文では「私が考える」)では

1917(大正6)~1927(昭和2)年生まれの人々。

 

著者の祖父が「戦中派」で、

それが戦中派を語る上での原点とのことである。

 

戦中派の戦争はおもに太平洋戦争で、

長くとも5年間。

 

「よりよく生きるか」から「いかに死ぬか」となり、

「いかに生きるか」となった。

 

 

 

 

目次

 

まえがき

 

 

第一章 死の淵に立つ

第二章 前夜

第三章 戦場への道

第四章 戦後

第五章 高度経済成長

第六章 戦中派の余生

 

あとがき

謝辞

主要参考文献

 

 

 

参考記事

 

 

 

島尾敏雄氏と吉田満氏のとの対談。

吉田氏は本文でも何度も出てくる。

 

 

「新編 特攻体験と戦後」(島尾敏雄・吉田満)

 

 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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