小笠原とのかかわり(住みついて14年後ごろの2006年・寄稿文)
小笠原とのかかわり
(住みついて14年後ごろの2006年・寄稿文)
代表・吉井信秋の小笠原とのかかわりについて、
日本エコツーリズム協会機関紙への寄稿文です。
(原稿を書いたのは2006年7月ごろです。)
本文ここから
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現在、小笠原(父島)でエコツアーガイドを営み、暮らしています。
島に住み始めて、かれこれ14年。早いものです。
人生で一番長く住み着いた場所となりました。
その間、島で妻と出会い、結婚し、2児の子供を授かりました。
おかげさまで、子供も島のゆったりとした環境の中、すくすくと育っています。
生活の糧であるガイド業のほうは、
船便で、往復6日間もかかる来島者の少ない島ですので、
ほとんどの時期が細々と、電話番・事務の妻と、
ガイドの私とでなんとか商売をしております。
小笠原という島名が実際に現実的になってきたのは25歳でダイビングを始めてからでした。
いつか行きたいと思いつつ、サラリーマンゆえ、6日間の休みがとれず、あこがれの島でした。
その後、30歳前で思い切って会社を辞めて、小笠原へ旅立ちました。
ダイビングのこと以外は何の予備知識もなく。
だから、先住移民として外国から住み着いた人の子孫がいることも知らず、
初めの頃は、この外人えらく日本語がぺらぺらだなあなんて思ってもいました。
商店やダイビングサービスなどで働いているうち、
数年かけて、徐々に島のことを学び、休みの日にフィールドを歩き実地を学び、
その後、エコツアーガイド業を始めました。
ガイド業も商売ですから、品質と営業(販売力)の両輪が必要なのを実感しながら、
どうしても営業ベタな、現場好きの私でした。
海も山も大好き。
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ここまで。
ここで書いたことは、今も訂正不要です。
2020年現在
島に住んで28年、ガイド事業21年目に突入しています。
子供2人も大きくなり、長女は大学生、長男は高校生です。
まだ数年は仕送りも必要です。
ガイド事業は2011年の世界遺産登録から安定はしています。
ガイドは僕と妻と2人体制です。
その他業務はそれぞれが受けもっています。
競合他事業者も増えているので、油断はできませんが、
営業面ではSNS発信以外は苦手です。
お客様対応もいまだに失敗を繰り返しています。
そんなマルベリーですが、今後も宜しくお願いします。
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