小笠原マルベリー

陸軍大村第二砲台に残る4つの砲側弾薬庫


 

大村第二砲台に残る4つの砲側弾薬庫

 

 

概要

 

終戦まで、ウェザーステーション近くは陸軍大村第二砲台でした。

実際に据えた大砲は四五式十五糎加農砲2門でした。

 

戦争末期に、大砲は近くの洞窟陣地に移されています。

(洞窟陣地はふさがれています)

現在、その大砲は撤去されて残っていません。

 

確実の残る砲座跡は1箇所(2番)だけで、砲側弾薬庫4箇所は残っています。

*ここでは南(下) から北(上)に向かって1-4番とします)

 

弾薬庫は分厚いコンクリート製でかまぼこ形です。

外部は土や樹木で被覆されて、目立たないようになっていて、

一見、洞窟タイプの弾薬庫のようです。

 

外扉は

外からまっすぐ入れるのが2.4番、外から曲がって入るのが1.3番です。

外扉と中扉はずれた位置にあるので、外扉からは90度に2回曲がり、中扉となります。

 

内部構造はほぼ同じです。外扉は鉄製、中扉は木製です。

内部は中扉・天井・壁・床ずべてが白色です。

 

 

 

全体図

 

南側(1.2番)

 

北側(3.4番)

 

 

 

弾薬庫の構造

 

外の扉は分厚い鉄扉

 

同、 内側から

 

中扉は木製

 

弾薬庫内  縦長で8畳ぐらいのサイズ

 

 

同 内部から

 

奥の下にある開口部・・通風、除湿?

 

 

 

 

4つの弾薬庫

 

1-3番は内部に入ることができますが、

1と3番は足場が悪いです。2番は道からすぐです。4番は入れません。

 

1番

 

 

1番に隣接したトーチカ 

トーチカは戦争末期に設置か?

 

 

1番内部

 

1番と2番の間にある砲台長位置(指揮所)

 

  

2番

 

2番中扉

 

2番そばに残る砲座穴

 

3番

 

 

3番内部  かつて気象庁利用の残骸?

 

4番   

 

同 現在は、気象庁津波地震早期検知網観測局となっています。

 

 

 

 

ツアーでは

 

大村第二砲台はおもに戦跡ツアーで訪れます。

戦跡ツアーでは2番弾薬庫を紹介します。1.3番はほとんど入りません。

ここは景観ツアーでもそばを通るので、リクエストがあれば、紹介します。

 

戦跡ツアー

 

大村第二砲台跡

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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