小笠原マルベリー

陸軍大村第四砲台跡・・U字型砲台


 

 

概要

 

大村第四砲台は

大村地区の西側の尾根の上にあり、

二見湾を見下ろせる場所に残ります。

(現在は樹林で展望はなし)

 

大村第一~第四砲台は、敵艦艇に対する二見港防衛のため、

大正末期から工事が始まりました。

 

砲台跡は4つあり、なだらかな傾斜のある尾根道にあり、

西から東にかけて下がっています。

一番東(下)にある砲台がかなり壊れています。

 

この砲台はU字型で、

他の地域でもこの形は見た記憶がないので、

あまりない形かと思います。

 

父島要塞築城史によると、

はじめ七.五糎加農砲、

のち三八式十二糎榴弾砲が計画されました。

実際には太平洋戦争時には

野砲4門が据えられていました。

父島要塞築城史 (ogasawara-mulberry.net)

 

三八式野砲洞窟陣地(野羊山)

 

付随する砲側弾薬庫などは

近くにはまったく残っていません。

 

第四砲台から下の方は

海軍航空隊の基地となっていました。

 

そのせいか、陸軍、海軍の標石が隣り合って残っています。

ここが陸軍と海軍との境界なのでしょう。

 

 

 

 

 

砲台跡

 

*西(上)から1番(上側)として4番(下側)まで

 

 

1番砲座

 

2番砲座

 

  

3番砲座

 

破壊された4番砲座

 

 

 

砲座の構造

 

全景

 

西側

 

 

東側

 

 

正面

 

 

 

正面の展望

 

現在は樹林になって、ほとんど前面の展望はありません。

 

砲台付近の洞窟からの展望がこれです。

二見湾内に侵入したところを狙っています。

 

 

 

 

ツアーでは

 

大村第四砲台は

戦跡ツアーでご紹介することができます。

 

戦跡ツアー

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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