小笠原マルベリー

中島飛行機株式会社武蔵製作所殉難者慰霊碑


 

中島飛行機株式会社武蔵製作所殉難者慰霊碑

 

概要

 

「中島飛行機株式会社武蔵製作所殉難者慰霊碑」、

東伏見稲荷の裏手、お塚の奥にひっそりと慰霊碑が建立されていました。

 

総務省||中島飛行機株式会社武蔵製作所 殉職者慰霊碑

昭和39年12月、殉職者慰霊碑建設委員会建立となっています。

 

空襲で多くの方が亡くなっています。

 

ちなみに中島飛行機は今で言えばスバルのことです。

 

 

 

 

建碑之由来

 

中島飛行機株式会社は

大正六年十二月群馬県太田町に創立され

終戦後富士産業株式会社と改称した 

昭和十三年五月北多摩郡武蔵野町西窪に武蔵野製作所が建設され

昭和十六年十一月隣接地に多摩製作所が増設され陸海軍に分かれ生産を行った 

昭和十八年十月時局の要請により両製作所を合併して

武蔵製作所と呼称するに至った 

この間従来の従業員に日本全国からの徴用工員男女動員学徒を加へ

その総数は五万人に及び日夜生産に励み国内第一の航空発動機工場となった 

米軍は日本空軍の補給力を全滅するため武蔵製作所を本土編隊爆撃の第一目標とし

昭和十九年十一月二十四日の空襲以来終戦まで十数回の爆撃が行われ、

爆弾五百発が命中し二百余名の殉職者と五百名を超える負傷者を出し

工場は全く廃墟と化してしまった 

武蔵製作所はこの爆撃のため終戦後平和産業に転換することが出来ず

富士産業株式会社武蔵整理部として整理業務に専念し

毎年十一月二十四日を迎える度に戦争の恐怖と罪悪を想起すると同時に

平和日本の礎となった殉職者の霊を慰める祭祀を行った 

昭和二十三年十月占領下であるにも拘わらず慰霊碑の建立を企図

中島飛行機株式会社武蔵製作所殉職者慰霊碑建設委員会を組織し

有志の浄財をもって武蔵製作所稲荷神社跡に慰霊碑の建立を行い

同時に殉職無縁者永代供養のため武蔵野市源正寺に供養碑を建立した 

昭和二十三年十二月東伏見稲荷神社司祭により遺族を迎え

除幕式並びに慰霊祭を挙行した

爾来日武蔵整理部従業員有志によってささやかながら祭祀を続けて来たが

慰霊碑の完全な保存と永代祭祀のため

当初より多大の助力をされた東伏見稲荷神社の好意により境内に遷座することになった 

昭和三十九年十一月に遷座を完了し

翌十二月全国より遺族を招き遷座祭並びに二十年祭を挙行した 

茲に慰霊碑建立の由来を記述して後世に伝え

平和日本の礎となった中島飛行機株式会社武蔵製作所殉職者の霊を

永えに慰めんとするものである

 

昭和三十九年十二月五日

中島飛行機株式会社武蔵製作所

殉職者慰霊碑建設委員会

 

 

 

 

実際の様子

 

 

東伏見稲荷

 

神社裏のお辻

 

建碑由来説明

 

慰霊碑

 

碑裏面

 





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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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