山口県長門市青海島「日露兵士の墓碑」(’22/10月訪問)
目次
概要
’22/10月、
山口県長門市青海島大越の浜(おおごしのはま)に残る、
「日露兵士の墓碑」を訪問しました。
日露兵士の墓碑 – 長門市ホームページ (city.nagato.yamaguchi.jp)
日露兵士の墓 (city.nagato.yamaguchi.jp)
場所は青海島の一番東の方です。
道路沿いに標識が出ています。
道路から浜までは5分以内で降りられます。
駐車場はなさそうです。
墓碑は2つ。
常陸丸遭難者の墓碑(日露戦役常陸丸遭難者之墓)と、
露艦戦士の墓碑(日露戦役露艦戦士之墓)。
(常陸丸・・ひたちまる)
どちらも日露戦争にまつわるものです。
常陸丸遭難者の墓碑
碑正面:日露戦役常陸丸遭難者之墓
常陸丸は、
長崎で完成した日本最初の大型貨客船(6,172トン)。
日露戦争開戦と同時に陸軍の御用船となりました。
明治37年6月15日、
中国へ向かう途中、玄界灘でロシアの軍艦に砲撃されて沈没。
多数の戦死者の遺体が沖合に流れてきて、村で丁重に葬りました。
墓碑は大正10年12月に建立されました。
(説明板より抜粋)
露艦戦士の墓碑
碑正面:日露戦役露艦戦士之墓
明治38年5月27日、
日本海軍連合艦隊は、バルチック艦隊を対馬沖で迎え撃ちました。
いわゆる日本海海戦です。
結果、30数隻のロシア艦隊は壊滅しました。
戦死した多くのロシア兵士の遺体が
浜に流れ着き、住民は手厚く埋葬しました。
墓碑ははじめ自然石を置いただけのものでした。
昭和43年5月、明治維新100年を記念して、
現在の御影石の墓に建て替えられました。
(説明板より抜粋)
現地の様子
大越の浜
説明板
左:露艦戦士の墓碑(日露戦役露艦戦士之墓)。
右:常陸丸遭難者の墓碑(日露戦役常陸丸遭難者之墓)
露艦戦士の墓碑(日露戦役露艦戦士之墓)
常陸丸遭難者の墓碑(日露戦役常陸丸遭難者之墓)
参考