衝立山陸軍標石「父島要塞第二地帯標」
目次
概要
父島には
陸軍標石「父島要塞地帯標」がいくつか残る。
要塞地帯標は大正10年に設置されている。
要塞地帯法実施の件 (archives.go.jp) (p78あたり)
しかし、
衝立山(ついたてやま)の設置は昭和16年である。
(上記資料のような、
昭和16年設置の根拠となる情報はない)
衝立山は千尋岩ルートがある。
ピーク付近には陸軍対空監視哨が残る。
この地帯標は、ルート沿いではない、
西側の別なピーク付近にある。
陸軍省設置で、第二地帯標である。
(ただし、
二の上の部分が埋めたような痕跡がある)
日付は昭和16年1月10日。
戦争直前に設置されたものである。
この場所の要塞地帯標は
正面:父島要塞第二地帯標、
右側面:地点番号「第六号」、
左側面:日付「昭和十六年一月十日」、
後面は「陸軍省」。
正面上部には
S.M.(Strategic Mark Monument 戦略監視の碑)
2nd Z.( SECOND ZONE・第二地帯)
これは
「 1だと、1st Z. = FIRST ZONE・第一地帯
2だと、2nd Z. = SECOND ZONE・第二地帯
3だと、3rd Z. = THIRD ZONE・第三地帯 」
前述の通り、
二の上が埋めた痕跡があるので、
第一地帯標だったのかもしれない。
真実はどうなのか?
今後、要調査。
現地の様子
衝立山のピークにある「父島要塞第二地帯標」
まわりはオガサワラビロウ林
正面上部は
S.M.(Strategic Mark Monument 戦略監視の碑)
2nd Z.( SECOND ZONE・第二地帯)
第二の上の部分が埋められているように見える
実際は第一だったか?
右側面は 第六号
六は、モルタルで埋めた上から掘られている
もとは違う数字だったか?
左側面「昭和16年1月10日」
後面は「陸軍省」
見るには
この場所は
観光ルート(指定ルート)からそれる場所。
そのためツアーではご紹介はできない。
中山峠には同様の地帯標があり、
そこは自由に見学できる。
ツアーでは、森歩きで行くことがある。
定番ルートではないので、
2名様以上のリクエストで、行くことが可能である。
往復で、中山峠までなら、1時間半ほど。
先端の岬まで行くと2時間ほど。
小港の海岸散策も含むと、さらにプラス20-30分。
通しでちょうど半日コースとなる。
戦跡ツアーでも行くことは可能だが、
往復で1時間以上はかかる。
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