小笠原マルベリー

硫黄島・海軍陸戦隊本部付近の九六式二十五粍機銃


 

概要

 

硫黄島基地近くには

海軍陸戦隊本部として使われた構造物がある。

コンクリートの頑丈な建物である。

 

海軍第一御楯特攻隊出撃前夜の会議室(硫黄島)

 

戦後は、海上自衛隊で、

資料室として使われた形跡もある。

(現在は未使用)

 

その建物の脇には

九六式二十五粍機銃と思われるものがある。

(機銃については知見が少ないので、

 詳しい方に間違いないか教えていただきたい)

 

これは建物の入口付近にあるので、

他から運ばれてきたものであろう。

 

硫黄島は戦場になっただけあり、

戦後の武装解除の処理がなされていない。

それゆえ、機銃も残っている。

今となっては非常に貴重な資料である。

 

ちなみに、

戦場にならなかった父島などでは、

武装解除で銃はみなはずされている。

 

三連装九六式二十五粍機銃が残る壕(三日月山麓)

 

 

 

 

現地の様子

 

陸戦隊本部建物

半地下となっている

 

陸戦隊本部は

昭和20年32月以降とある

 

入口付近にある機銃

 

同上

 

同上

 

同上

 

銃口

ピントが合っていないが

ペンの黒い部分は40㎜程度

 

 

 

 

 

見るには

 

硫黄島は一般観光で行くすべはない。

 

墓参や遺骨収集事業に参加する機会があれば、

島内視察で見ることが可能である。

(基地からほど近い)

 

硫黄島には

海上自衛隊、航空自衛隊が常駐している。

 

そのため、

内地の基地からは定期的に輸送機が飛んでいる。

片道2時間以上かかる。

 

小笠原島民の場合、

父島からヘリで硫黄島に渡る場合もある。

 

いずれにせよ、前述の通り、

一般観光などでは行くことはできない。

 

硫黄島・南鳥島

 

 

 

 

 

参考

 

国内各地の戦跡

 

小笠原・父島の戦跡

メールでのお問い合わせはこちら

メールでのお問い合わせ

マルベリーでは、山歩き(千尋岩)、森歩き、戦跡ツアー、スター&ナイトツアー、サンセット・ナイト、歴史ツアーなどを開催しております。

    は必須項目です。必ずご記入ください。

    お名前

    ふりがな

    メールアドレス

    ご住所


    お電話番号

    お問合せ内容

    個人情報の取り扱い

    個人情報保護方針に同意し、送信する

    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

    この著者の記事一覧

    コメントは受け付けていません。


    関連記事RELATED ARTICLE

    PAGE TOP