小笠原マルベリー

三連装九六式二十五粍機銃が残る壕(三日月山麓)


 

 

概要

 

三日月山のふもとに

三連装九六式二十五粍機銃(機関砲)が残る壕がある。

さすがに機銃そのものは撤去されている。

九六式二十五粍機銃 – Wikipedia

 

この機銃は海軍のものと思う。

しかし、

壕の場所は山中ゆえ、陸軍の陣地と思われる。

島内で、

海軍から陸軍へ供与されたものであろうか。

あるいは、

はじめから陸軍が島内に導入していたのだろうか。

(要調査)

 

この壕は

10mほどの奥行でそれほど大きくはない。

居住を兼ねた壕とは思えない。

壕の終点に機銃と銃眼がある。

すぐ手前にははドラム缶も1つ残る。

 

現在、周辺は樹林におおわれている。

そのため見通しはない。

推定だが、

銃眼からは海岸の方を狙うと思われる。

 

父島で機銃(機関砲)が残る壕は少ない。

ほとんどは連装機銃で、

三連装機銃が残るのは、ここ以外にほぼ知られていない。

機銃がないとはいえ、貴重な戦跡だ。

 

 

 

 

 

 

現地の様子

 

 

 

壕の入口

奥に機銃があるとは思えない雰囲気の壕

 

機銃近くのドラム缶

 

機銃と銃眼

 

機銃

 

機銃 右側

 

機銃 左側

 

機銃 前側

 

銃眼

 

 

 

 

 

行くには

 

都道行文線から、沢筋を5分ほど上ると、

壕の入口が見える。

特に道はない。

 

沢筋は枝分かれがあるので、

本流を見極める必要あり。

 

道もなく、足場も悪いので、

ツアーで訪れることはまずない。

(どうしてもという場合は相談には乗る)

 

小笠原・父島の戦跡

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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