小笠原マルベリー

「夏草の賦 (上・下)」(司馬遼太郎)


 

 

概要

 

1968年発行(文庫は1977年)

「夏草の賦 (上・下)」(司馬遼太郎)。

『夏草の賦(上)』司馬遼太郎 | 文庫 – 文藝春秋

夏草の賦 – Wikipedia

 

主人公・長曾我部元親の生涯を描く。

*本書では長曾我部であるが、

 長宗我部や長曽我部という表現もある。

長宗我部元親 – Wikipedia

長宗我部氏 – Wikipedia

 

物語は元親25歳ごろ

妻となる奈々が嫁入りするころから始まる。

 

土佐の一地域から土佐を制覇し、

さらに、四国を制覇するところまでになる。

しかし、

秀吉に責められ、また土佐だけの支配に。

秀吉の配下になってからは、九州の島津攻めにも出陣する。

 

秀吉の支配下になった以降は、

戦いへの情熱を失っていく。

 

 

 

 

 

 

タイトル:夏草の賦

 

 

不思議なタイトルである。

 

著者がタイトル名の意図を明かしたものはないようだ。

(要調査)

 

ある方の記事で書いてることが、

腑に落ちたので紹介する。

 

夏草とは、

松尾芭蕉の俳句「夏草や 兵どもが 夢の跡」。

賦とは詩や歌という意味。、

 

「夏草の賦」の意味と長宗我部元親の生涯 – vs. おすすめ

 

 

 

つまり

元親の生涯をたとえたものであろう。

元親は土佐を制覇し、

一時は四国を制覇するぐらいまでになった。

秀吉によって、また土佐だけに。

そして、その後は情熱を失った。

のち息子の代でほろんだ。

 

 

 

 

 

参考

 

 

長宗我部の滅亡のあと、土佐を支配するのが山内家。

 

「功名が辻 (文庫全4巻)」(司馬遼太郎)

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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