小笠原マルベリー

長崎市禅林寺「嶋谷市左衛門」墓(’25/2月訪問)


 

 

概要

 

’25/2月、

長崎市禅林寺にある嶋谷市左衛門墓を訪ねた。

 

これは、

村の事業による視察の一環として訪ねたものである。

 

禅林寺には

嶋谷家の墓群が2区画に分かれておさめられている。

本家と別家の関係であろうか?

 

それらの墓を見ていくと、

嶋谷市左衛門という書かれた墓がいくつかある。

(実際の墓では島谷)

 

嶋谷市左衛門という名が

世襲であったのがうかがえる。

 

小笠原に来島した市左衛門が

何代目であったのであろうか?

 

複数あるうちの市左衛門の墓であるが、

小笠原に来島した人物としては2説ある。

 

浦川和男氏と秋岡武次郎氏によるものである。

そのうち、

詳細は省くが、浦川氏の見解がより有力である。

 

浦川氏によると

出家して「見立」といわれる人物がその市左衛門。

さらに同乗した子の太郎右衛門は、

のちに市左衛門を襲名し、墓には市左衛門の名が刻まれる。

(没年月日で太郎右衛門とわかる)

 

なお今後さらなる新知見があれば、

見解は変わる可能性もある。

 

 

 

 

 

 

嶋谷家の墓

 

 

 

禅林寺案内板

 

入口には案内板があり、嶋谷氏の名も刻まれる。

 

 

 

禅林寺案内

 

 

長崎先人の墓案内 

6番が嶋谷

 

 

嶋谷市左衛門 説明

 

 

 

位置図

6番が嶋谷

 

 

 

 

 

 

本家と別家

 

 

嶋谷家の墓は近い場所に2か所あり、

本家と別家という関係であろうか?

 

 

 

本家側の墓

 

 

別家側の墓

 

 

 

 

嶋谷市左衛門墓

 

 

 

墓は本家側にある。

 

浦川説に従った墓には

法名で、俗名が刻まれていない。

しかし、出家して、

「見立」といわれていたのが知られている。

法名には見立とは刻まれているので、

間違いないであろう。

 

墓碑には

「本覚院秋嶽見立居士」

没は元禄3年(1690)9月19日。

 

 

 

中央が市左衛門墓

 

 

正面

右が市左衛門

「本覚院秋嶽見立居士」

左は夫人

 

右側面

「嶋谷氏

 元禄3年(1690)庚午9月19日卒」

*庚午・・かのえうま

 

 

 

 

 

嶋谷太郎右衛門墓

 

 

 

墓は別家側にある。

 

市左衛門が小笠原に来島した際、

息子の太郎右衛門も同乗していた。

 

この太郎右衛門は、

後年、市左衛門を名乗るようになった。

 

つまり世襲で継いだのだろう。

 

したがって、墓の名は嶋谷市左衛門となっていて、

太郎右衛門の名は刻まれない。

ただし没年月・元禄4年(1691)7月16日が分かっていて、

間違いないと思われる。

 

墓碑には

「故孝心空道隠居士(正面) 

 俗名島谷市左衛門尉(右側面)」。

 

 

嶋谷太郎右衛門墓

 

正面

右が太郎右衛門「故孝心空道隠居士」

左は夫人

 

右側面

かなり読みづらい

「維時元禄4年(1691)龍舎辛未7月16日」

「俗名島谷市左衛門尉」

 

 

*維時・・これとき(亡くなった時)

*「龍舎」・・「歳次」と同義でとしまわりのこと

*辛未・・かのとひつじ

 

 

 

参考

 

嶋谷市左衛門関連資料(’25/4月時点)

 

嶋谷市左衛門の名が刻まれる「郷土先賢紀功碑」(’25/2月訪問)

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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