<ガイドブックに載っていない島案内③>(’13年投稿・’21再編集版)
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<ガイドブックに載っていない島案内③>(’13年投稿・’21再編集版)
都政新報、
ガイドブックに載っていない島案内③~ジョン万次郎の遺産が根付く~
に投稿した文章です。
<概要>
現在、小笠原諸島では父島・母島の二島に2600人ほどの島民が暮らしている。
父島は東京からは1000㎞ほど南にある。母島は父島からさらに50㎞ほど南にある。
江戸時代には人が住んでいない無人島として、無人(むにん)島と呼ばれていた。
しかし1830年にはハワイから白人と現地人がやってきて定住を開始した。
日本人の移住となると1876年以降である。
まだ人が住み始めてわずか190年ほどしか経っていない歴史の新しい島である。
短い歴史の間に島を訪れた有名人物の中からジョン万次郎(中濱万次郎)について、
取り上げてみたい。
ジョン万次郎は、若いころ漁師として乗っていた漁船が漂流したのち、
鳥島にたどり着いた。
そこにアメリカの捕鯨船が通りかかり、生きのびていた5人を見つけ、
ハワイまで連れて行った。
4人はそこで船を降りたが、ジョン万次郎だけがさらにアメリカまで渡った。
数年、アメリカで暮らしたのち、捕鯨船に乗り込んで経験を積んだりしたのち、
日本に戻ってきた。
その後、幕府が咸臨丸をアメリカに派遣したときには、通訳として訪米した。
ここまでは比較的有名な話である。
しかし、ジョン万次郎は小笠原近辺に6度も訪れていることはほとんど知られていない。
初来島は1842-5-27で、小笠原近海への航海6回となります。
<万次郎の来島>
ハウランド号は万次郎たちを救出し、ハワイに立ち寄りの後、再度、日本近海で捕鯨しています。
そしてその間、航海日誌などによると、
ハウランド号は1842-5-27父島二見港に入り、食料を調達しています。
したがって、万次郎の初来島はこの時ということになります。
ただし上陸はしていないようです。
ライマン・ホームズの航海日誌 | 川澄哲夫 (keio-up.co.jp)
ライマン・ホームズの航海日誌 ―ジョン万次郎を救った捕鯨船の記録
2度目は、弘化4年(1847年)、アメリカからの捕鯨船に乗り込んでいた時である。
その捕鯨船は航海の途中、父島に10日間寄港している。
そのときはまだ外国から移住の外国人たちだけの島であった。
その捕鯨船はのちアメリカに戻った。ジョン万次郎もである。
3度目は安政6年(1859年)、
幕府の許可を受けた船で小笠原近海に試験捕鯨に向かった。
ただし嵐に遭遇し引き返したため、島には上陸はしていない。
4度目は文久元年(1862年)、
幕府の探検隊が開拓のため咸臨丸で来航したときに、外国系島民との通訳として訪れている。
滞在期間は約3か月ほどであった。
このとき、
先の捕鯨船で来島した際に会っていたナサニエル・セーボレーと再会している。
5度目は文久3年(1863年)、また捕鯨のために来島した。
この時は父島で水夫を雇い、小笠原近海でマッコウクジラを2頭しとめている。
小笠原での滞在は4か月ほどであった。
最後の6度目は、明治21年(1888年)、
わずかな航海記録の断片しかないが、小笠原近海にいたことが残っている。
やはりこの航海も捕鯨であったようだ。
合計6度の小笠原近海への航海のうち、5度は捕鯨がらみである。
そのうち3度は父島に上陸もしている。
<その後の小笠原>
小笠原は今でも
ザトウクジラやマッコウクジラのウォッチングが盛んな島であることは言うまでもない。
ジョン万次郎の捕鯨への思いは引き継がれ、
戦前・戦後を通して小笠原は捕鯨の基地となっていた。
捕鯨をやめてからは、
ザトウクジラやマッコウクジラのウォッチングが盛んな島となっている。
現在、小笠原には彼の足跡を示すようなものは何もない。
ただ、文久元年(1862年)に幕府が小笠原開拓の際に建立した、
「漂流者冥福碑」および「小笠原新治碑」は現存している。
江戸時代末期、日米の懸け橋として貢献したジョン万次郎。
小笠原においては幕府の探検隊としての来島がまさにそうであった。
戦前、日本でも稀有な外国系と日本系の移住者がともに暮らしていた島。
それは今も父島では続いている。
そういう経緯もあるためか、小笠原は移住者を受け入れやすい気風があるように思う。
最後に、小笠原までアクセスについてであるが、船による航路のみである。
定期船は11000tの「おがさわら丸」のみが就航している。
運航は6-7日に1度の頻度で、東京・竹芝桟橋から父島に向けて出港する。
航海時間は24時間である。
父島からさらに50㎞ほど南にある母島へは、
さらに定期船「ははじま丸」で2時間ほどかかる。
小笠原に来ようと思ったら、5泊6日の日程を確保する必要がある。
その日程で当地には3泊できる。
<その他>
参考図書:
ライマン・ホームズの航海日誌 ―ジョン万次郎を救った捕鯨船の記録
https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766419498/
ツアーでは:
直接の万次郎の足跡はありませんが、
万次郎が通訳として同行した文久の探検時の史跡は紹介できます。
香味があればリクエストしてください。
景観ツアーあるいは歴史ツアーで。
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