「中濱万次郎」(中濱博)
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「中濱万次郎」(中濱博)
概要
2005年発行、「中濱万次郎」(中濱博)。
サブタイトルは「「アメリカ」を初めて伝えた日本人」
著者は万次郎の直系子孫4代目です。
子孫しか知り得ないような情報も盛り込まれています。
「漂巽紀畧」(河田小龍・記、ジョン万次郎・述)は、
万次郎の帰国後、土佐で、河田小龍が聞き取りしたものです。
この本は、帰国後の活躍や老後についても記事された、
まさに伝記といっていいものです。
ただし、14才までの漂流以前の幼年期については、
2ページほどの記載がある程度です。
71才で亡くなった人生。
本書ではは8章から老後ですが、年齢でいうと45才でした。
彼の人生のほとんどの出来事・活躍は45才までだったということです。
老後の生活の中で、60歳の時(1888年)、
最後の捕鯨で小笠原近海に来ているのは特筆すべきことです。
目次
1章 漂流 2章 外国 3章 帰国
4章 開国 5章 国内(前編) 6章 咸臨丸
7章 国内(後編) 8章 老後 末裔たち
小笠原がらみ
著者は、
1992年4月に父島を訪れ、セーボレー家の子孫と交流しています。
万次郎はナサニエル・セーボレーとは、
1847年、1862年と、少なくも2回以上は会っているはずです。
参考資料
万次郎の帰国後、土佐で、河田小龍が聞き取りしたものです。
万次郎は6回小笠原あるいは小笠原近海に来ています。
僕の土佐清水訪問です。
ツアーでは
小笠原には万次郎がらみは何もありません。
ただし、万次郎も乗ってきた咸臨丸がらみの幕末の史跡は複数あります。
奧村・冥福の碑と扇浦・扇浦・新治の碑などです。
どちらもご自分でいくこともできます。
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