西川倍太郎墓(咸臨丸乗組員・越前国大野藩士)
目次
西川倍太郎墓(咸臨丸乗組員・越前国大野藩士)
概要
奥村にある咸臨丸墓地。
咸臨丸は無事航海を終えています。
より正確に言えば、咸臨丸乗組i員墓地他です。
乗組員が島で1人だけ亡くなっていて、その方の墓がここにあります。
他の墓や史跡もあります。
乗組員で亡くなったのは「西川倍太郎」(にしかわ ますたろう)
墓の側面には、
右:大日本官艦咸臨丸乗組 越前國大野藩
左:文久二年戌正月二十七日没享年三十一
江戸弟西川昌規寸四假(仮)建立 とあります。
西川氏は咸臨丸の乗組員で、父島に滞在中、亡くなったのです。
(自殺とされています。)
この墓は弟が江戸から運んできたものと思われます。
福井県大野市願了寺には西川七兄弟の墓があります。
卍願了寺|福井県大野市 – 八百万の神 (yaokami.jp)
いくつかある墓の中で
この人だけが咸臨丸に直接乗船していた人の墓なのです。
咸臨丸墓地の墓
墓前面
左側面
右側面
福井県大野市願了寺の墓
(この部分の写真は実家が福井県にあるU氏撮影です。)
(僕も大野市は訪れましたが、その時は情報不足で見つけられませんでした。)
願了寺
三兄弟の墓碑(実際は七兄弟) 倍太郎は長男。
墓碑では父島で病死となっています。
墓 倍太郎の名も刻まれています。
訪れるには?
願了寺は大野市街地にあり、
大野駅から徒歩で行ける程度です。
卍願了寺|福井県大野市 – 八百万の神 (yaokami.jp)
咸臨丸墓地は父島奧村にあります。
景観ツアーや歴史ツアーで訪れます。
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