「城塞」(司馬遼太郎)
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「城塞」(司馬遼太郎)
概要
「城塞」(司馬遼太郎)、
週刊新潮で連載語、1971-72年単行本(全3巻)発行。
司馬遼太郎 『城塞〔上〕』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)
城塞とは大坂城のこと。
時代は大坂の陣のころ。
まさにこの大坂の陣(冬・和議・夏)を通して描いています。
夏の陣では堀が埋められてしまいましたが、
冬の陣のときはまさに難攻不落の城塞でした。
だからこそ、家康も和議という方向にもっていったのでしょう。
全3巻で
上が冬の陣、中が和議、下が夏の陣という区切りです。
1巻あたり500ページ超えで、かなり長く読み応えはあります。
本書では、徳川家康は終始一貫して悪者ですね。
この頃家康は老齢期で、すでに将軍は秀忠となっていますが、
幕府としては安定していたとも言えません。
豊臣家をつぶすことで、徳川家を安泰とさせる狙いがあったのですね。
その過程では、
外様大名に徳川に忠誠をつかわせる意図もありました。
本書では家康が様々な策略をつかって、
豊臣家をつぶす過程が描かれています。
徳川方の間者(スパイ)として小幡官兵衛が大坂城に入り込みます。
本書では小幡は主役級の役どころとなっています。
ある意味、豊臣秀頼は悲劇のヒーローかもしれません。
実質、大坂城を仕切っていたのは淀君(秀頼の生母)です。
そのため秀頼は動こうにも動けなかったところもあるようです。
この戦いのころは
両者とも、実戦を知る人物が少なくなっていました。
豊臣方は、淀君が出しゃばらなければ、
違った展開になっていた可能性はあると思います。
結果として、大坂の陣を抑えた徳川方は、
明治維新まで260年以上、彼らの時代は続きました。
是非はともかく、大坂の陣は時代を動かした大きな戦いだったのですね。
いい人だったはずの徳川家康が
徳川家のために変貌していくのは政権を取る関ヶ原の頃からのようです。
嫌らしい老練の家康がよく描かれています。
既読司馬作品
司馬遼太郎: マルベリーの日記&小笠原情報箱 (seesaa.net)
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