小笠原マルベリー

「小笠原島司阿利君紀功碑」(清瀬信号付近) 


 

「小笠原島司阿利君紀功碑」(清瀬信号付近) 

 

概要

 

清瀬信号付近の村の園地にある

「小笠原島司阿利君紀功碑」。

 

かなり大きな碑で、

台座の高さが1m近くで、碑の高さも2m近くで、

計3mほどの高さで、よく目立ちます。

 

大きく目立つわりには、説明板などもなく、

この碑のことを知る人は島民でもかなり少ないです。

 

碑文は近づいて見れば、それなりに読めます。

ただし、漢文で書かれています。

碑文の日付は明治39年6月です。

 

父島に赴任する都の職員では小笠原支庁長がトップです。

この当時は、

東京府小笠原島庁の長(島司)がそれに相当します。

 

つまり阿利氏は、

当時、島に赴任している東京都職員の長だった人です。

その功績をたたえる碑なのです。

 

阿利君とは、阿利孝太郎氏のことで、

明治29年から20年以上、島司をつとめた方です。

このころはかなり権限があったようです。

行政のかなりの機能を統括していたようです。

 

20年以上在籍してかなり功績があったことでしょう。

碑が建ってもおかしくないかもしれません。

でも、碑は在任10年位のころに建てられていますね。

そのあたりがやや気になります。

 

在任中には排斥運動もあったようです。

「白秋全集 16」(北原白秋): マルベリーの日記&小笠原情報箱 (seesaa.net)

 

さて、今の制度なら、支庁長は2年ほどで確実に異動です。

碑が建てられる可能性はかなり低いでしょうね。

なお参考資料は

「小笠原高校研究紀要第3号・第4号」によります。

 

 

 

 

碑文概要

おおむね下記のような内容です。

 

「統治者の仕事は、福利を興し、その害を除くこと。

 ところが、そうでないものもあり、適任者ではない。

 阿利君はそういう人物ではない。

 阿利君は幸太郎といい、旧徳島藩士である。

 明治29年小笠原島司として異動してきた。

 位階や勲章を受け、功労により多額の賞与をも得る。

 阿利君は勤勉意欲的で徹夜も疲れた風を見せない。

 長期的な視点に立って、業務を行う。

 主な業績は、

 教育機関の整備、小笠原航路の拡張、道路河川の整備などで

 地籍の明確化、島誌の編纂、森林経営など。

 阿利氏の在任10年は、顕著な功績があった。

 島民はその功績に感謝し、碑を建てようということで、

 依田百川に碑文を要請した。

 阿利君をたたえる詩を作る。」

 

 

 

 

実際の様子

 

碑全景

 

 

碑周辺

 

碑前面 右は「阿利君紀功碑」

 

篆額   「功徳碑」(右から左)

篆額は東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)による

 

碑文

 

.

裏面

 

 

 

 

見るには?

 

清瀬信号付近にあります。波止場から徒歩5分ほど。

大きな碑で目立ちます。

 

ツアーでは

立ち寄って、紹介することはほぼありません。

 

歴史ツアーで興味があればご紹介します。

 

歴史・史跡ツアー

 

 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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