山中に残るビール瓶、「大日本ビール」「キリンビール」
目次
概要
父島の山中各所に残るビール瓶、
「大日本ビール(大日本麦酒)」、「キリンビール」の瓶。
もちろん、終戦までに使われたもので、
戦後のものではありません。
残っている瓶は
数でいうと、大日本麦酒の方が多いかと思います。
キリンビールの瓶は、今と同じ形で、
肩の部分がなで肩です。
大日本ビール
大日本麦酒は
サッポロ、エビス、アサヒが合併し、1906年設立。
のちサクラも合併。
シェアが70%近くの時もあったようです。
山中に大日本が多いのも納得ですね。
戦後は解散し、
朝日麦酒、日本麦酒(サッポロやエビス)となりました。
歴史紹介 | 歴史・沿革 | サッポロビール (sapporobeer.jp)
下部に DAINIPPON BREWERYS の文字
同上
肩の部分 登録商標 DBの意匠
同 マーク
キリンビール
麒麟麦酒(キリンビール)は、前身が1885年からで、
麒麟麦酒という社名は1907年からです。
「キリンビール」ブランドは1888年からです。
キリンビール株式会社 | グループ会社一覧 | キリンホールディングス
1885年~1949年 | 沿革 | キリンホールディングス (kirinholdings.com)
肩の部分 カタカナで キリンビール(右から左)
同上
下部 登録商標 KBの意匠
下部 カタカナでキリンビール
透明瓶のキリンビール小瓶
肩の部分 KIRIN BEER
聖獣麒麟図柄入り
サクラビール
なお、山中には、
まれに「サクラビール」もあります。
見るには?
戦跡ツアーでめぐるエリアには
復数箇所で見られます。
大村第二砲台跡にも残っています。
ここは自由に歩ける場所です。
お願い!!
こういう瓶類が
なくなってしまうこともあります。
こういう戦前・戦中のものは
近代遺跡としての価値もあります。
十分に観光資源となっています。
これが、戦後のものであれば、
ごみとして撤去でもいいかもしれません。
中には
ごみと思って撤去する人がいるかもしれません。
今となっては決してごみではありません。
触って、見るのはかまいませんが、
また元に戻しておいてください。
持ち去らないでください。
お願いします。
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