小笠原マルベリー

「玉砕の硫黄島に生きた 混成第二旅団野戦病院」(野口巌)


 

概要

 

2021年発行、

「玉砕の硫黄島に生きた 混成第二旅団野戦病院」(野口巌)

玉砕の硫黄島に生きた 混成第二旅団野戦病院 | 書籍案内 | 文芸社

 

はじめ、1984年、私家版として刊行。

この新装版はご子息の忠男氏によるものです。

 

3度目の招集が来た1944/11月から、

終戦で復員の1946年3月までが描かれています。

 

 

 

 

 

内容

 

野口巌氏は

軍医として3度も招集されました。

 

3度目の招集は1944年11月。

硫黄島にある混成第二旅団野戦病院棟として赴任。

赴任は1945年1月。

硫黄島 | 小笠原村公式サイト (vill.ogasawara.tokyo.jp)

 

その後、硫黄島は戦場になります。

硫黄島の戦い – Wikipedia

 

村主催硫黄島訪島事業で上陸した硫黄島(2007年・再編集版)

 

文章は淡々と書かれていますが、

実際には修羅場や地獄絵図だったでしょう。

言葉にはできないような、

すさまじい経験をされたものと思います。

 

そのさなか、

「万国赤十字条約」を思い出します。

それにより、野戦病院スタッフは窮地を脱します。

 

さらにその後は、

戦場となっている沖縄に送られ、医療業務を続けます。

 

そして、終戦を迎え、復員しました。

 

硫黄島で医療に携わった方の、

生き証人としてうそ偽りのない文章です。

 

何人かの部下を失い、

悔いる面もかなりあったかと思います。

 

 

 

 

参考

 

村主催硫黄島訪島事業で上陸した硫黄島(2007年・再編集版)

この訪島では

医療関係の医務課壕も入りました。

 

 

「水平線」(滝口悠生)

戦前の硫黄島も舞台の1つ

 

小笠原協会機関誌「小笠原」特集第65号

 

 

「硫黄島」(石原俊)

 

「玉砕総指揮官」の絵手紙(栗林忠道)

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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