海軍第一御楯特攻隊出撃前夜の会議室(硫黄島)
目次
概要
硫黄島基地付近にある
平屋のコンクリートの構造物(建物)。
現在は建屋がむき出しで残るが、
当時はカムフラージュされていたであろう。
手前にある硫黄島協会の標石によると、
正面「第一御楯特攻隊出撃前夜の会議室
日付がきちんと判明できず」
(日付は昭和十九年十一月二十六日であろう)
右「第二十七航戦司令部 昭和二〇年一月まで」
左「陸戦隊本部 昭和二〇年二月以降」
後 「硫協 第二十六号」
となっている。
海軍の施設で、
時期によって、用途は違っていた。
第一御楯特攻隊出撃前夜とは
昭和19年(1944)11月26日のことである。
摺鉢山山頂には、
第一、第二御楯特攻隊隊の慰霊碑が設置されている。
この建物は、入口を見る限り、
かつては海上自衛隊の資料室として使われていた。
しかし、
現在は使われていないようだ。
建物外部には
砲弾、戦車砲塔部、機関砲などが残る。
島内の他所から運ばれたものであろう。
(詳細は不明)
現地の様子
外観 道路の裏側
出入口側
外観 道路沿い
同上 別アングル
外観 側面
標石正面
「第一御楯特攻隊出撃前夜の会議室」
標石右側面
「第二十七航戦司令部 昭和二〇年一月まで」
標石左側面と後部
左「陸戦隊本部 昭和二〇年二月以降」
後 「硫協 第二十六号」
屋外の残る砲弾と戦車砲塔部
外部に残る機関砲(機関銃・機銃)
見るには
一般観光で行くすべはない。
墓参や遺骨収集事業に参加する機会があれば、
島内視察で見ることが可能である。
硫黄島には
海上自衛隊、航空自衛隊が常駐している。
そのため、
内地の基地からは定期的に輸送機が飛んでいる。
片道2時間以上かかる。
小笠原島民の場合、
父島からヘリで硫黄島に渡る場合もある。
いずれにせよ、前述の通り、
一般観光などでは行くことはできない。
参考:父島の残る戦車砲塔部
戦跡ツアーでは
大根山公園のものが紹介できる。
リクエストいただければと思う。
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