小笠原マルベリー

「明治四十五年製 №127 大阪砲兵工廠」銘板


 

 

 

概要

 

戦争末期の巽谷砲台には

三八式十二糎榴弾砲が2門据えられていた。

(砲座は3つ残る)

 

朝立岩付近にある戦争末期の巽谷砲台

 

東側の砲には

2016年までは銘板が残っていた。

 

銘板の文字は

「明治45年製 №127 大阪砲兵工廠」。

(№127以外は右から左に)

大阪砲兵工廠 – Wikipedia

 

はじめ見たころは

糎榴弾砲の砲架に固定されていたもの。

しかし、

2016年時点では、架台からは外れていた。

 

その後この銘板は行方不明。

持ち去られたのか、そのあたりに埋まっているのか?

 

地面に埋まっている可能性もあるので、

’23/8/25、確認のため訪れた。

しかし、見つかることはなかった。

ゆえに、持ち去られたものと考える。

 

まさか、

メルカリなんかには出ていないと思うが・・・

 

なお、

こころ当たりのある方がいれば教えてほしい。

貴重な銘板である。

 

 

 

 

 

 

現地の様子

 

 

東側にある榴弾砲

銘板はこの砲架についていた

 

銘板

「明治45年製 №127 大阪砲兵工廠」

 

 

 

 

 

 

見るには

 

 

ここは徒歩1時間近くかかるので、

戦跡ツアーで行くことはまずありません。

 

どうしてもという方は

事前にリクエストしていただきたい。

この往復だけで半日は費やします。

 

なお内部は水が溜まりやすいので、

濡れてもいい履物があるといい。

 

 

千尋岩コースでは、比較的近いので、

涼しい時期なら、立ち寄ることは可能。

プラス30分ほど。

これも事前にリクエストいただくと助かる。

 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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