小笠原マルベリー

朝立岩付近にある戦争末期の巽谷砲台


 

 

概要

 

巽谷砲台は大戦前から露天で設置されていた砲台ですが、

戦争末期に洞窟陣地として朝立岩付近に移設されました。

 

陸軍父島要塞巽谷砲台(露天)

 

もとの砲台で、据えられていたのは三八式十二糎榴弾砲4門です。

2門は母島に移設されました。

 

この洞窟陣地は砲台が西向き1、東向き2ですが、残っている残骸は2門です。

なぜ東向きに2つ砲台がつくられた理由はわかりません。

 

ここに行くには、徒歩で1時間以上はかかります。

 

 

 

 

洞窟砲台

 

この洞窟陣地には破壊された砲が2門あるのですが、

いずれも前後逆向きになっています。

どうしてそうなっているのかはわかりません。

外に出したものを中に入れたときに前後逆にしたという風に見えます。

 

西向きの砲台

 

西向き砲台の残骸

 

 

東向きの砲台 南側

 

東向きの砲台 北側

 

  

砲に残っていた銘板 「明治45年製 №127 大阪砲兵工廠」

かなり以前になくなっています。

(2016年ごろまではまだありました)

 

「明治四十五年製 №127 大阪砲兵工廠」銘板

 

朝立岩の監視場所は東西に出入口があります 

 

 

東側出入口

 

 

 

他地域の同じ砲(レプリカ)

 

佐田岬の砲台に展示するレプリカです。

 

愛媛県佐田岬穹窖砲台<第3・第4砲台>(2020年11月訪問)

 

 

 

 

見るには

 

ここは徒歩1時間近くかかるので、

戦跡ツアーで来ることはまずありません。

どうしてもという方は事前にリクエストして下さい。

この往復だけで半日は費やします。

 

戦跡ツアー

 

千尋岩コースでは、

比較的近いいので、立ち寄ることは可能です。

往復でプラス30分ほど。

 

これも

事前にリクエストいただくと助かります。

 

千尋岩(ハートロック)コース

 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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