朝立岩付近にある戦争末期の巽谷砲台
目次
朝立岩付近にある戦争末期の巽谷砲台
概要
巽谷砲台は大戦前から露天で設置されていた砲台ですが、
戦争末期に洞窟陣地として朝立岩付近に移設されました。
もともとの巽谷砲台: マルベリーの日記&小笠原情報箱 (seesaa.net)
もとの砲台で、据えられていたのは三八式十二糎榴弾砲4門です。
2門は母島に移設されました。
この洞窟陣地は砲台が西向き1、東向き2ですが、残っている残骸は2門です。
なぜ東向きに2つ砲台がつくられた理由はわかりません。
ここに行くには、徒歩で1時間以上はかかります。
砲台
この洞窟陣地には破壊された砲が2門あるのですが、
いずれも前後逆向きになっています。
どうしてそうなっているのかはわかりません。
外に出したものを中に入れたときに前後逆にしたという風に見えます。
西向きの砲台
西向き砲台の残骸
同
東向きの砲台 南側
東向きの砲台 北側
砲に残っていた銘板 「明治45年製 №127 大阪砲兵工廠」
かなり以前に盗まれています。
「明治四十五年製 №127 大阪砲兵工廠 」: マルベリーの日記&小笠原情報箱 (seesaa.net)
2016年ごろまではまだありました。
朝立岩の監視場所は東西に出入口があります
東側出入口
同じ砲のレプリカ
佐田岬の砲台に展示するレプリカです。
ツアーでは
ここは徒歩1時間以上かかるので、戦跡ツアーで来ることはまずありません。
どうしてもという方は事前にリクエストして下さい。
この往復だけで半日は費やします。
千尋岩コースでは、比較的いので、立ち寄ることは可能です。
これも事前にリクエストいただくと助かります。
前の記事へ
次の記事へ