小笠原マルベリー

論文:「戦時期、陸軍恤兵部の慰問政策」(押田信子)


 

 

概要

 

’23/10月発行、

論文「戦時期、陸軍恤兵部の慰問政策」(押田信子)。

 

この論文は

中央大学経済研究所年報第55号に掲載されている。

(入手方法は不明)

刊行物 | 中央大学 (chuo-u.ac.jp)

research_institutes_economic_publication_year_report_55.pd

 

「恤兵部」のことは

下記書籍に詳しく書かれている。

 

「抹殺された日本軍恤兵部の正体」(押田信子)

 

恤兵とは

兵士慰問のために、物品や金銭を送ること。

恤兵の原資は国民からの寄付。

 

兵士たちは、慰問団が来ることで、

ひとときの安らぎや楽しみを得られたようだ。

 

 

 

 

 

 

川上護大佐

 

この論文では、

川上護大佐にも焦点が当てられている。

 

川上氏は

恤兵部ののち、父島要塞司令官なられた方。

その後、さらにほかの部隊へ異動。

 

父島には川上氏の情報はわずかしかないが、

それを求めて、著者は来島されてもいる。

 

要塞神社・・陸軍要塞司令部裏の斜面上に

 

 

 

 

 

 

 

作者について

 

押田氏は

恤兵部関連での取材で来島されたことがある。

 

その時に、メールでのやり取りや

小笠原でガイドしたりした。

 

要塞司令部の司令官川上大佐の調査であった。

川上氏は恤兵部にも勤務したことがあった。

 

小笠原での取材結果が、こうやって論文になり、

ガイドした甲斐があった。

 

 

 

 

参考

 

小笠原・父島の戦跡

 

押田信子 | 小笠原マルベリー (ogasawara-mulberry.net)

 

川上護 | 小笠原マルベリー (ogasawara-mulberry.net)

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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