小笠原マルベリー

「抹殺された日本軍恤兵部の正体」(押田信子)


 

概要

 

2019年発行、

「抹殺された日本軍恤兵部の正体」(押田信子)。

(恤兵:じゅっぺい)

 

サブタイトルは

「この組織は何をし、なぜ忘れ去られたのか?」

抹殺された日本軍恤兵部の正体|書籍詳細|扶桑社 (fusosha.co.jp)

 

恤兵とは

兵士慰問のために、物品を金銭を送ること。

恤兵の原資は国民からの寄付。

 

恤兵部は

それをつかさどる陸海軍の部署です。

物品だけではなく、

有名人の兵士への慰問派遣もしました。

 

恤兵は

銃後において、戦意高揚の役目も果たしたようです。

 

その恤兵部についてまとまられた本です。

 

この本を読むと、

恤兵部や恤兵についてはかなり理解が進みます。

 

恤兵部は

戦争末期には、機能停止に陥いります。

恤兵金は、戦後は整理され、

大蔵省に引継ぎして完了しています。

 

52年の歴史でした。 

 

 

 

 

 

 

読むきっかけ

 

とあることで、

著者から問い合わせの電話がありました。

 

それは

本書に出てくる「川上護」中佐(のち大佐)についてです。

(川上護:かわかみ まもる)

 

川上氏は、恤兵部勤務ののち、

要塞司令官として父島に赴任となった人です。

 

要塞神社・・陸軍要塞司令部裏の斜面上に

 

父島要塞 – Wikipedia

 

そのことで、問い合わせがありました。

父島勤務時の情報はほとんどないので、

参考にはならなかったかと思います。

 

そういうことで、

興味を持って読んだわけです。

 

電話でご連絡いただいたときに

恤兵部といわれても、ピンときませんでした。

 

 

 

 

 

目次

 

第1章 恤兵部の誕生(日清戦争~日露戦争)

第2章 そびえ立つ恤兵金、慰問袋の山(満州事変~日中戦争)

第3章 恤兵部が仕掛けたアイドル動員の戦地慰問

第4章 恤兵の火を消すな!!恤兵部の文化政策、事変記念イベント

第5章 恤兵部が自前で起こしたメディア

第6章 太平洋戦争と恤兵(昭和一六年~二〇年)

第7章 終戦と恤兵部

第8章 証言 恤兵で戦地に行った私

 

 

 

 

 

 

参考

 

少しジャンルは違いますが、

政府・軍部・報道界のプロパガンダについてです。

 

「帝国日本のプロパガンダ」(貴志俊彦)

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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