小笠原マルベリー

「鏑木余三男君之碑」(大神山)


 

 

概要

 

「鏑木余三男君之碑」は

大神山公園西入口からほど近い展望地に建立。

*鏑木余三男(かぶらきよさお)

 

大神山(大神山公園と大神山神社)

 

碑は

鏑木余三男氏の功績をたたえるもの。

島民による建立とのこと。

 

鏑木氏は小笠原島庁の技師だった方で、

水産業振興に尽力された。

兄は明治時代の水産官僚・関沢明清氏。

関沢明清 – Wikipedia

 

碑正面は

海軍大将正三位勲一等功二級男爵齋藤實による。

*齋藤實(斎藤実・さいとうまこと)

斎藤実 – Wikipedia

 

鏑木氏は、碑文によると、

1908年(明治41)1月31日、54歳で亡くなる。

 

この碑は

1913年(大正2)10月に撰文ならびに書となっている。

建碑はそれ以降であろう。

 

鏑木氏が亡くなり、

5年ほどたってからの建碑と考えられる。

 

功績の説明板は東京都による。

この公園自体が小笠原支庁管理である。

 

 

 

 

 

 

現地の様子

 

 

説明板

 

 

碑の場所

西入口から上ってすぐの展望地

遭難者冥福の碑と並ぶ

 

碑全景

 

 

碑正面

 

(上)東京府小笠原島庁 技師正六位勲六等 

・・・はがれかけて読みにくい  

(中央)鏑木余三男之碑

(左)海軍大将正三位勲一等功二級男爵齋藤實題

 

*齋藤實(斎藤実・さいとうまこと)

斎藤実 – Wikipedia

 

 

左側面

漢文のため下記に訳文の概要を紹介

 

<訳文概要>

鏑木余三男といい、もともと鏑木家は加賀金沢藩士。

内務省勧業局員、農商務省、博覧会員、台湾総督府員、

長崎県水産試験場などののち、小笠原島庁技師に。

阿利島司とともに水産業を奨励し、

功績が認められ高等官四等正六位勲六等に叙された。

明治41年1月31日、54歳で亡くなる。

 

大正2年10月

*四位勲四等 松原新之助 撰文ならびに書

 

「小笠原島司阿利君紀功碑」(清瀬信号付近) 

 

 

 

 

見るには

 

大神山公園西入口から上ってすぐの展望地にある。

下から5分もかからない。

展望もいい。

 

ツアーで立ち寄ることはまずない。

興味があれば、リクエストいただきたい。

各種ツアーで立ち寄りは可能。

 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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