「鏑木余三男君之碑」(大神山)
目次
概要
「鏑木余三男君之碑」は
大神山公園西入口からほど近い展望地に建立。
*鏑木余三男(かぶらきよさお)
碑は
鏑木余三男氏の功績をたたえるもの。
島民による建立とのこと。
鏑木氏は小笠原島庁の技師だった方で、
水産業振興に尽力された。
兄は明治時代の水産官僚・関沢明清氏。
碑正面は
海軍大将正三位勲一等功二級男爵齋藤實による。
*齋藤實(斎藤実・さいとうまこと)
鏑木氏は、碑文によると、
1908年(明治41)1月31日、54歳で亡くなる。
この碑は
1913年(大正2)10月に撰文ならびに書となっている。
建碑はそれ以降であろう。
鏑木氏が亡くなり、
5年ほどたってからの建碑と考えられる。
功績の説明板は東京都による。
この公園自体が小笠原支庁管理である。
現地の様子
説明板
碑の場所
西入口から上ってすぐの展望地
遭難者冥福の碑と並ぶ
碑全景
碑正面
(上)東京府小笠原島庁 技師正六位勲六等
・・・はがれかけて読みにくい
(中央)鏑木余三男之碑
(左)海軍大将正三位勲一等功二級男爵齋藤實題
*齋藤實(斎藤実・さいとうまこと)
左側面
漢文のため下記に訳文の概要を紹介
<訳文概要>
鏑木余三男といい、もともと鏑木家は加賀金沢藩士。
内務省勧業局員、農商務省、博覧会員、台湾総督府員、
長崎県水産試験場などののち、小笠原島庁技師に。
阿利島司とともに水産業を奨励し、
功績が認められ高等官四等正六位勲六等に叙された。
明治41年1月31日、54歳で亡くなる。
大正2年10月
*四位勲四等 松原新之助 撰文ならびに書
見るには
大神山公園西入口から上ってすぐの展望地にある。
下から5分もかからない。
展望もいい。
ツアーで立ち寄ることはまずない。
興味があれば、リクエストいただきたい。
各種ツアーで立ち寄りは可能。
前の記事へ
次の記事へ