小笠原マルベリー

父島海軍通信隊清瀬送信所(元父島北特設望楼)遺構


 

概要

 

1914年(大正3)、

小笠原における最初の軍事施設ができた。

それが、海軍の父島北特設望楼である。

 

場所は電信山の釣浜口駐車場付近。

電信山の由来となった。

父島の山々 (coocan.jp)

 

望楼のその後の経緯は下記の通り。

1918年、父島特設無線電信所となり、

1920年、父島海軍無線電信所となった。

さらにのち、

1937年(昭和12)父島海軍通信隊となった。

1942年以降(1937年という記載も)、送信業務だけとなった。

(受信業務は本隊のほうで)

*年月は要精査

 

父島海軍通信隊本隊・受信所遺構(小笠原中学校裏)

 

1944年6月、

送信所は夜明山に移設され役目を終えた。

 

海軍通信隊夜明山送信所

 

現在、

この施設跡はほぼ残骸が残るのみ。

建物は破壊されている。

貯水槽が原形に近く残るものはある

アンテナは基礎部分だけが残る。

 

そのため、ほとんど立ち寄る人もなく、

樹林におおわれる。

見るべきものもほぼない状態。

 

 

 

 

 

現地の様子

 

 

釣浜口駐車場の向かい側が所在地

樹林でおおわれる

 

 

同上 

 

破壊された構造物のレンガ

 

基礎部分

 

基礎部分

 

 

貯水槽?

 

不明?

 

敷地へりの石積み

 

貯水槽

 

同上内部

 

アンテナ基礎

電子山歩道沿い

 

同上 別基礎

 

アンテナ基礎付近からの展望

 

 

 

 

見るには

 

 

釣浜口駐車場のすぐ向かいの樹林。

樹林内はやぶのようになっている。

 

アンテナ基礎は電信山歩道沿いに残る。

 

ツアーで訪れることはまずない。

 

戦跡ツアー

 

 

 

 

参考

 

 

小笠原・父島の戦跡

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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