小笠原マルベリー

硫黄島戦没者の碑(天山慰霊碑)


 

 

概要

 

硫黄島北部、海軍天山壕の上にある

硫黄島戦没者の碑(天山慰霊碑)。

写真 | 小笠原村公式サイト 

0227-2_02.pdf (mhlw.go.jp)

 

 

この慰霊碑は

1971年(昭和46年)国(厚生労働省)によって建立。

*当時は厚生省

戦没者慰霊事業:硫黄島戦没者の碑|厚生労働省 (mhlw.go.jp)

 

それ以前は、

「戦没日本人の碑」があった程度だそうだ。

これは1953年(昭和28年)日本国政府建立で、

現在も傍らに残る。

 

碑の中央上部は遺骨箱をかたどる。

慰霊に訪れた人はその箱に水をかける。

 

慰霊碑中央上部は空が見えるつくりとなっている。

これは壕の中で潜んだ兵たちが、

光や水を求めた兵士の思いがこもるもの。

 

碑の正面は本土の方を向いているようだ。

反対側は自衛隊基地が遠望できる。

 

 

 

 

 

初訪問

 

’24/7月初旬、

硫黄島にとある業務で訪れた。

 

業務終了後の視察で初訪問した。

 

車で入口まで行ける。

 

自衛隊の方が同行していて、

碑や慰霊方法の説明を受けたのち、慰霊した。

 

 

慰霊碑から階段で下って、

地中にある天山壕は入り口だけ見学した。

 

 

 

 

 

 

現地の様子

 

遠望

 

入口

 

慰霊碑外観

 

慰霊碑

正面方向は本土の方

 

碑の上は空が見える

 

中央部に遺骨箱をかたどる

 

水をかけて慰霊

花を手向けて、線香もあげる

(火災防止のため、火が消えるのを確認)

 

「硫黄島戦没者の碑」厚生省(当時)

 

 

 

建立趣旨説明

 

 

碑から入口方面

自衛隊基地方向となる

 

戦没日本人の碑

日本国政府

 

 

地下にある天山壕

碑のところから階段がついている

 

 

 

 

 

参考

 

硫黄島・南鳥島

 

 

小笠原・硫黄島関連図書

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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