
概要
1997年発行、
「宇喜多秀家 備前物語」(津本陽)。
『宇喜多秀家 備前物語』津本陽 | 単行本 – 文藝春秋
もとは山陽新聞で、
「備前物語」として連載されたものを加筆訂正したもの。
かなり長い。本文は約600ページ。
タイトルは宇喜多秀家とあるが、
登場するのは途中からで、おもに後半の主役。
実際には、
能家から秀家に至るまでの宇喜多家物語。
能家(よしいえ)から始まり、興家(おきいえ)、
直家、秀家とつながる。
宇喜多能家 – Wikipedia
宇喜多興家 – Wikipedia
宇喜多直家 – Wikipedia
宇喜多秀家 – Wikipedia
物語の最後は
八丈島での秀家と、明治になったの宇喜多家。
タイトルは
新聞連載の、「備前物語」の方がしっくりくる。
宇喜多秀家
秀家は生まれながらにしてのお坊ちゃま。
秀吉の時代に
宇喜多家は備前の大名となる。
岡山城を本拠地とする。
秀家は
秀吉から目をかけられ、秀の1文字をもらう。
その秀吉の時代に、
各所に出陣したりして戦果をあげる。
秀吉が生きているうちはよかったが、
関ヶ原で西軍についた結果、命運は尽きる。
薩摩に流れたのち、
八丈島に流され、そこで生涯を終えた。
宇喜多秀家 – Wikipedia
宇喜多秀家 (city.okayama.jp)
参考
「豊臣家の人々 新装版」(司馬遼太郎)
「新史 太閤記 上・下」(司馬遼太郎)
「関ヶ原(上)・(中)・(下)」(司馬遼太郎)
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この記事を書いた人
吉井 信秋
大阪市旭区生まれ。
茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。
北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。
某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。
数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。
その後、小笠原・父島に移住。
島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。
小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。
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