小笠原マルベリー

「関ヶ原(上)・(中)・(下)」(司馬遼太郎)


 

「関ヶ原(上)・(中)・(下)」(司馬遼太郎)

 

概要

 

1966年発行、

「関ヶ原(上)・(中)・(下)」(司馬遼太郎)。

 

関ヶ原 (小説) – Wikipedia

司馬遼太郎 『関ケ原〔上〕』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)

司馬遼太郎 『関ケ原〔中〕』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)

司馬遼太郎 『関ケ原〔下〕』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)

 

上中下と3巻シリーズでかなり長いです。

 

主人公は合戦で戦った西軍・石田三成と東軍・徳川家康。

物語は

秀吉が亡くなる頃から、関ヶ原の合戦が終わって少しまでの時期が

描かれています。

 

合戦の場面は下巻の半分ぐらいの分量です。

 

本文の大部分は

両者の合戦にいたるまでの行動や心情が詳しく描かれています。

 

義の三成か、利の家康か、

各大名はどちらにつくかという意思を示さないといけない状況でした。

反三成という動きもありました。

 

合戦は多数派工作に成功した家康が

戦わずして勝ったとも言えます。

家康と謀臣たちの多数派工作はすさまじいものがありました。

 

しかし、

実際の合戦は東軍もしばらくは危うい状況もありました。

最終的には

東軍に与することになっていた小早川の動きで決しました。

 

 

 

 

 

余談

 

三成はせっかく陣取った大垣城を出てしまったのか?

なぜ関ヶ原で野戦をしてしまったのか?

結果として、関ヶ原は一日終わってしまいました。

城攻めの不得意な家康ですから、

大垣で守れば、かなり粘れたと思います。

これも家康の作戦勝ちだったのでしょう。

 

岐阜県・大垣城(’21/5月訪問)

 

 

合戦の最後に、薩摩郡は陣中を突っ切って脱出に成功。

本書ではごく簡単にしか書いてないですが、

「島津奔る」に詳しく書いています。

 

「島津奔る 上・下巻」(池宮彰一郞)

 

黒田官兵衛は、合戦の頃、隠居でしたが、

国内制覇の考えをもって九州で動いていたようです。

一方、息子の黒田長政は活躍により、

福岡への移封となり、かなり石高が増えました。

 

 

 

 

参考

 

「覇王の家」(司馬遼太郎)

 

「城塞」(司馬遼太郎)

 

司馬遼太郎 | 小笠原マルベリー (ogasawara-mulberry.net)

 

 

岐阜県・関ヶ原古戦場(’21/5月訪問)

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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