小笠原マルベリー

奥村海軍墓地に眠る海軍技術兵長の親族が来島・慰霊


 

 

概要

 

’24/11/9、

青森からのご家族4名様と千尋岩へ。

(カメラの不調で写真はなし)

 

ご家族は

戦時中、親族が父島で亡くなったとのこと。

 

その親族は

奥村の海軍墓地に名前が刻まれている。

ご家族は前日に慰霊されていた。

 

「大東亜戦争海軍戦没将兵之碑」と戦没者墓(奧村海軍墓地)

 

親族の名前は、

「海軍技術兵長 北田廣 氏」

あとで確かめたら、確かにこの方の墓があった。

お供えもしてあった。

 

この方は

海軍第三百三設営隊だったとのこと。

 

303設営隊は居住壕の1つを知っているので、

ツアー後にご案内した。

 

海軍第三百三設営隊居住壕(電信山)

 

ただし、

その壕がその方がいた居住壕かはわからない。

 

でも、

ご満足はいだけたのではないかと思う。

 

英霊に合掌。

 

 

 

 

 

海軍墓地と居住壕

 

 

 

道沿いから奥村海軍墓地

 

 

北田廣之氏の墓

 

正面は

海軍技術兵長 北田廣之

 

 

墓上部

「海軍技術兵長」

 

墓下部

「北田廣之墓 」

(墓の文字が汚れでほぼ見えない)

 

 

 

303設営隊居住壕 

かまど

 

同上 貯水槽

壕の中に3つもある

 

 

 

 

 

遺族・親族の方へ

 

父島で亡くなっただけでは、

手がかりはほとんどありません。

 

特定の情報があれば、

何かわかるかもしれない。

 

戦没者の名前がわかるのは

海軍墓地や陸軍病院名簿碑など。

 

「大滝旧陸軍病院戦没者名」碑  

 

以前は、このブログで見つけて、

陸軍病院で亡くなった方の遺族が来島されたこともある。

 

戦跡ツアー・・慰霊の旅(’24/6/22)

 

僕が持つ情報・資料も限られるが、

慰霊に関しての問い合わせにはなるべく対応したい。

 

戦没者がいた場所や部隊が特定できる情報があると、

探すヒントにもある。

 

お役にたてるかどうかは分からないが、

ご連絡いただきたい。

 

 

 

 

 

 

参考

 

小笠原・父島の戦跡

 

戦跡ツアー

 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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