小笠原マルベリー

傘山東側の壕


 

 

概要

 

道路からほど近い、

傘山東側には入口3か所の壕が残る。

 

傘山(森歩きコース)

 

3か所は中で中央部の通路とつながる。

その通路はまっすぐ奥にのびている。

 

奥行50m以上はあるが、最後は行き止まり。

さらに掘り進もうとしていたようにも感じる。

 

中に残るものは

通路の中ほどには朽ちたドラム缶が2つある程度。

 

場所からすると、陸軍であろうかと思う。

(要調査)

 

 

 

 

 

記載資料

 

この壕についての資料はほとんどない。

 

小笠原村戦跡調査報告書では不記載。

 

「小笠原村戦跡調査報告書」(小笠原村教育委員会)

 

一般図書の「小笠原戦跡一覧」では、

傘山陣地として短い解説がある程度(50ページ)。

 

「小笠原戦跡一覧」(待島亮)

 

 

 

 

 

現地の様子

 

 

 

 

 

北入口

 

同上付近の立入禁止看板

大蔵省のかなり古いもの

 

同上  内部から

 

 

中欧入口

 

 

同上内部

 

 

南入口

 

 

同上内部

 

 

中央部通路のドラム缶

 

ドラム缶は2つ

 

 

 

中央部通路の奥は行き止まり

奥行50m以上

 

壕の天井にわずかな鍾乳石

約80年でできたもの

 

壕の通路

 

 

 

 

見るには

 

この壕は道路からほど近い。

手前が樹木におおわれているので、

かなり近くまで行かないと入口は見えない。

 

奥行きはかなりあるが、

入口が狭いのと見るべきものもほぼない。

それほど興味深いものではない。

 

ツアーでは使っていない。

 

戦跡ツアー

 

 

 

 

 

参考資料

 

小笠原・父島の戦跡

 

 

国内各地の戦跡

 

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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