小笠原マルベリー

「ゴンチャローフ日本渡航記」(イワン・アレクサンドロヴィチ・ゴンチャローフ)


 

 

 

概要

 

2008年発行(底本は1969年発行)、

「ゴンチャローフ日本渡航記」

(イワン・アレクサンドロヴィチ・ゴンチャローフ)。

『ゴンチャローフ日本渡航記』:講談社学術文庫|

ronso1140300840.pdf

 

ゴンチャローフは

19世紀ロシア文学の代表的作家の1人。

イワン・ゴンチャロフ – Wikipedia

 

ロシアが日本に通商を求めて、

1853年にプチャーチン提督の船が来航した。

エフィム・プチャーチン – Wikipedia

 

ゴンチャローフは

プチャーチンの秘書官として乗船していた。

その時に書かれたものである。

 

1969年発行の底本から、

「香港」「上海」の2章は割愛し4章構成である。

第1章が小笠原諸島である。

 

4章のうち、圧倒的に2.3章が長い。

 

2.3章は

幕府との交渉のために長崎来航時のこと。

幕府との交渉を待つまでの様子や

交渉の様子が述べられている。

 

 

 

 

 

目次

 

 

・第1章 小笠原諸島

 

・第2章 

 1853年末と1854年初頭の日本におけるロシア人(その1)

 

・第3章 

 1853年末と1854年初頭の日本におけるロシア人(その2)

 

・第4章 琉球諸島

 

 

 

 

 

小笠原について

 

第一章が「小笠原諸島」で、

1853年7月26日から、8月4日まで滞在している。

(父島での碇泊は9日間)

 

同年、ペリー提督のほうが、やや早く訪れていた。

 

小笠原に来なくてはいけない理由、その47「ペリー提督が訪れた島だから」

 

小笠原諸島の章は短いが、

当時の島の様子(生活・自然)がある程度うかがえる。

 

 

 

 

 

参考記事

 

小笠原・硫黄島関連図書

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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