小笠原マルベリー

清瀬地区に残る古い木製電信柱(日産農林)


 

 

概要

 

清瀬地区(美津の脇)に残る、古い木製電信柱。

 

実際使われていたころの用途は、

電話だったので、まさに電信柱。

(美津の方に聞いた情報)

 

現在は利用されずに、

擁壁沿いにただ立っている。

なぜ、撤去されなかったかは不明。

(擁壁ができるころは、

 まだ使われていたかどうかは不明)

 

この電信柱には銘板が残っている。

 

横書きで三行で、

・・・・・・・・

 A

日産農林(32)

 68

・・・・・・・・

とある。

(示す意味は会社にお問い合わせ中)

 

32は工場名を表していそうだ。

他のblogを見る限り、越中島からも知れない。

下総中山駅北口に点在するレトロ電柱と木製電柱 – 歩・探・見・感

 

この68は

1968年と推定している。

そうすると、

小笠原では返還の年ということになる。

 

 

 

 

 

 

 

日産農林

 

日産農林工業という会社名は、

1939年から。

その後も社名変更があったが、

2016年からは兼松サステックとなる。

沿革|兼松サステック株式会社

兼松サステック – Wikipedia

 

現在木製電信柱の需要はなさそうだが、

木材製品はつくられている。

その他保存処理製品(LC-350、NCU)|兼松サステック

 

 

 

 

現地の様子

 

 

民宿・美津の脇にある

 

電信柱の基礎部分は擁壁とかぶる

銘板は人の目線ぐらいのところにある

 

銘板

  A

日産農林(32)

  68

 

 

 

 

見るには

 

清瀬信号から50ⅿほどの三叉路脇。

そばに美津があるので、すぐわかる。

 

道路沿いなので自由に見学できる。

 

各種ツアーで紹介も可能。

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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