小笠原マルベリー

徳島県海陽町阿波海南文化村「冥福碑」(’25/5月訪問)


 

 

概要

 

 

’25/5月、

徳島県海陽町阿波海南文化村「冥福碑」を訪問した。

阿波海南文化村 | 徳島県観光情報サイト阿波ナビ

阿波海南文化村 | 海陽町

阿波海南文化村 – Wikipedia

 

阿波海南文化村は複数の施設にまたがり、

その中で博物館もある。

 

<文化村配置図>

 

冥福碑は

博物館入口脇に建立されている。

 

1670年に記録が残る、

日本人が最初に小笠原にたどりついたのが、

この碑の人たちである。

 

江戸へミカンを運ぶ船であったということで、

嵐にあって漂流したのち小笠原にたどりついた。

 

小笠原でも、

漂流者冥福碑として記録が残る。

 

奥村・漂流者冥福碑(咸臨丸墓地内)

 

記録が残る限りでは、

小笠原に最初に来た日本人は徳島の人であった。

 

ちなみに、この碑を見て、

小笠原とのつながりを感じてくれる人は、

どのぐらいいるだろうか?

 

小笠原諸島返還50周年記念誌(2018年6月発行)

 

 

 

 

 

 

現地の様子

 

 

阿波海南文化村入口付近

 

 

博物館

 

 

 

博物館入口付近の碑

 

冥福碑

 

碑文

 

 寛文十年(1670)阿波国浅川船・船頭勘左衛門・

水主安兵衛・彦之丞・三右衛門等は、

紀州でみかんを積み江戸へ回送中、

暴風雨にあい、七十日余大海を漂流、

あらゆる困難を克服して小笠原島に漂着。

船頭勘左衛門、疲労のため島にて死亡。

小笠原の父島に冥福の碑がある。

これが最初の小笠原島発見の史実である。

 ここに、

浅川船・船頭勘左衛門一同の功績を後世に伝えるため、

海南の地に冥福の碑を建立する。

 

     平成十四年 秋の吉日 海南町

 

(改行は原文とは異なる)

 

 

社会科郷土資料 表紙

 

 

JR浅川駅

 

 

 

 

 

参考

 

小笠原・父島の史跡・碑

 

 

国内旅レポート

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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