徳島県海陽町阿波海南文化村「冥福碑」(’25/5月訪問)
目次
概要
’25/5月、
徳島県海陽町阿波海南文化村「冥福碑」を訪問した。
阿波海南文化村は複数の施設にまたがり、
その中で博物館もある。
<文化村配置図>
冥福碑は
博物館入口脇に建立されている。
1670年に記録が残る、
日本人が最初に小笠原にたどりついたのが、
この碑の人たちである。
江戸へミカンを運ぶ船であったということで、
嵐にあって漂流したのち小笠原にたどりついた。
小笠原でも、
漂流者冥福碑として記録が残る。
記録が残る限りでは、
小笠原に最初に来た日本人は徳島の人であった。
ちなみに、この碑を見て、
小笠原とのつながりを感じてくれる人は、
どのぐらいいるだろうか?
現地の様子
阿波海南文化村入口付近
博物館
博物館入口付近の碑
冥福碑
碑文
寛文十年(1670)阿波国浅川船・船頭勘左衛門・
水主安兵衛・彦之丞・三右衛門等は、
紀州でみかんを積み江戸へ回送中、
暴風雨にあい、七十日余大海を漂流、
あらゆる困難を克服して小笠原島に漂着。
船頭勘左衛門、疲労のため島にて死亡。
小笠原の父島に冥福の碑がある。
これが最初の小笠原島発見の史実である。
ここに、
浅川船・船頭勘左衛門一同の功績を後世に伝えるため、
海南の地に冥福の碑を建立する。
平成十四年 秋の吉日 海南町
(改行は原文とは異なる)
社会科郷土資料 表紙
JR浅川駅
参考
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