小笠原マルベリー

9/22午前、戦跡ツアー・・25年ぶりぐらいの人


 

9/22午前、戦跡ツアー

 

9/22午前、戦跡ツアーは家族3代の4名様と歩きました。

 

奥様は僕が独身時代に入っていたアパートにいたそうです。

僕の住んでいたアパートは職場はいろいろな人でした。

 

それほど交流のある人ではなかったので、言われるまで全然分かりませんでした。

実は、そう言われても、記憶が薄れていて、なんとなく見覚えがある程度でした。

 

年数でいうと、25年ぶりぐらいになるのかもしれません。

 

でも、そうやって、僕のことを覚えていてくれて、

ツアーに参加してくれるなんて、とても感謝です。

 

 

戦跡は、半日コースで、いくつかのポイントを巡りました。

 

戦跡ツアー

 

写真は露天で残る高角砲のところです。

露天で残る十二糎高角砲2門(小曲・珈琲山)

 

他に、

コペペ海面砲台、夜明山通信隊居住壕、四一式山砲、ヘルダイバー残骸など見ていきました。

 

急降下爆撃機カーチス・ライト社 SB2C Helldiver(ヘルダイバー)

 

小笠原の戦跡では碍子(がいし)が残るところもあります。

事前に電柱についてるものをさしてこの4人に聞いたところ、

名称が分かった人は1名だけでした。

 

碍子は市民権がないですね。

 

碍子は電柱につきものなのですが、

どうやら常識で知っているものではなさそうです。

 

ではこれ見て学んで下さい。

https://www.ngk.co.jp/gaishi/

 

ちなみに僕もアクセントが変なようで、

普通ははじめが高いですが、僕は平らです。

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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