「幕末の円高仕掛人 水野忠徳の生涯」( 野田秀行)
目次
「幕末の円高仕掛人 水野忠徳の生涯」( 野田秀行)
概要
2016年6月発行、「幕末の円高仕掛人 水野忠徳の生涯」( 野田秀行)。
幕末の円高仕掛人 ─水野忠徳の生涯─ 東京図書出版 (tokyotosho.co.jp)
幕臣であった水野忠徳の人生が出来事ごとに章立てとなっています。
本文は水野が1人称として書かれています。
紆余曲折の人生、53歳の若さで亡くなりました。
小笠原の歴史を学ぶにあたって、知っておくべき重要な人物の1人です。
小笠原とのかかわりは文久元年(1861-1862)です。
外国奉行となっていた水野は、小笠原探検の調査団長となり、来島しました。
本文にもその章があります。
小笠原がらみ
本文では12章が小笠原探検です。
(12,小笠原島を探検(1861-1862))
この章は
外国奉行の水野が安藤老中から小笠原探検の団長に指名されるところから始まります。
そして、探検を終わり、老中に報告するところで終わります。
この章の登場人物は
菊池作次郎、中濱万次郎、小野友五郎など。
島民ではナサニエル・セーボレー、トーマス・ウェブなどです。
父島は当時の住民38人。
島民であるセボレーとのやり取りの中で、
八丈からの移民はそれ以内におさえることが要望されています。
実際に八丈からの移民はそのくらいの人数でした。
まだ水野は40代半ばで、
他の資料などによると、積極的に島内調査にも出かけています。
悪路をついていく部下もなかなか大変だったようです。
探検がらみの史跡
幕府の探検がらみの史跡は奧村・冥福碑と扇浦・新治碑の2つがあります。
どちらも自由に見学できます。
景観ツアーや史跡ツアーでも訪れます。
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