小笠原マルベリー

「大東亜戦争海軍戦没将兵之碑」と戦没者墓(奧村海軍墓地)


 

 

概要

 

奥村・旭橋を越えてすぐの山すそに、

「大東亜戦争海軍戦没将兵之碑」と戦没者墓があります。

(海軍墓地)

 

碑はコンクリートモルタル塗りで、

表面の文字は薄れてかなり読みづらくなっています。

 

墓は15基。

1人を除き、戦時中に亡くなっています。

所属は、2名を除き、303、209設営隊の方です。

 

15基の墓のうち、1基だけ大きめの墓があります。

その方は存命中、将校(少尉)でした。

建立の日付は不明です。

復員者の証言によると、

昭和21年(1946年)1月ごろまでにはまだなかったようです。

ただし、

日本軍の復員は昭和21年中には終わっています。

したがって、

建立は昭和21年(1946年)であろうかと思います。

 

ここに墓のある方々は

もちろん故郷にも墓はあるのだろうと思います。

 

小笠原を守っていただきありがとうございました。

ご冥福を祈ります。

 

 

 

 

 

 

実際の様子

 

 

墓の中央に碑があります。

 

 

碑を囲むように、三方に墓がならびます

 

将校の墓だけ大きく作られています

 

 

 

 

 

見るには?

 

ここは奧村の夜明道路沿いにあり、

誰でも訪れるることできます。

 

戦跡ツアーで訪ねることもあります。

 

戦跡ツアー

 

小笠原・父島の戦跡

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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