小笠原マルベリー

咸臨丸終焉の海・・北海道木古内町サラキ岬


 

 

概要

 

北海道木古内町サラキ岬は

咸臨丸が座礁して終焉を迎えた海です。

このことを知っている人はかなり少ないと思います。

咸臨丸 – Wikipedia

 

幕府の使節団が咸臨丸で太平洋を渡った話しは有名。

さらに、それほど有名ではないですが、

小笠原にも幕府の巡検隊を乗せて来島しています。

そのときの艦長は小野友五郎です。

 

「咸臨丸航海長 小野友五郎の生涯」(藤井哲博)

 

小野友五郎 | 小笠原マルベリー (ogasawara-mulberry.net)

 

 

その後の咸臨丸の動向は

ほとんど知られていないかと思います。

 

咸臨丸の最後は、

1871年、開拓移民を乗せて航海中のこと。

北海道・木古内町サラキ岬で座礁沈没しました。

 

現在、その地に、

モニュメント・案内板などがあります。

サラキ岬 ‐咸臨丸終焉の地|木古内町観光協会

 

木古内町はそれ観光資源があるわけでもないので、

観光で訪れたことのある人は少ないかと思います。

実は僕も松前城を訪れるためにドライブしていて、

見つけた寄った感じでした。

 

 

 

 

 

 

現地の様子

 

 

咸臨丸終焉の地 案内板

 

岬からの展望

 

咸臨丸終焉の碑

 

咸臨丸モニュメント

 

モニュメントの説明板

 

 

 

 

咸臨丸と小笠原

 

 

奥村・咸臨丸墓地にある墓や碑

 

西川倍太郎墓(咸臨丸乗組員・越前国大野藩士)

 

咸臨丸墓地 | 小笠原マルベリー (ogasawara-mulberry.net)

小野友五郎 | 小笠原マルベリー (ogasawara-mulberry.net)

万次郎 | 小笠原マルベリー (ogasawara-mulberry.net)

水野忠徳 | 小笠原マルベリー (ogasawara-mulberry.net)

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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