小笠原マルベリー

清水海軍航空隊「甲飛予科練之像」(’21/5月訪問)


 

清水海軍航空隊「甲飛予科練之像」(’21/5月訪問)

 

概要

 

’21/5月、清水の三保の松原付近を訪問。

 

三保の先端部には、

清水海軍航空隊「甲飛予科練之像」が建立されています。

清水海軍航空隊 – Wikipedia

 

そばには駐車場や清水灯台(三保灯台)があります。

奥には三保飛行場もあります。

 

 

 

 

 

 

「甲飛予科練之像」記念碑案内

 

 

案内文:

 

「甲飛予科練」とは太平洋戦争時、

海軍航空隊に入隊した甲種飛行予科練習生のことであり、

旧制中学三年生から、志願により選抜された者たちである。

 

 昭和十九年九月一日 清水海軍航空隊がここ三保の地に開隊され、

予科練習生十四、十五、十六期生千数百余名が航空兵を目指して、

日夜厳しい教育と訓練に明け暮れた所であります。

 

 当時、学業半ばにして国難に殉ぜんと、全国より馳せ参じた若人、

今だ思慮分別も熟さず、心身も長じていない少年期の練習生が、

「潔く散ってこそ若桜の生きがい」と生還を期し得ない精神と技量を養成されました。

 

 思えば、純朴にも祖国のため何の疑念も抱く事なく、

身命を捧げんとしたのであります。

愛国心に徹した人生観、青春のひととき、苦楽を共に過ごした霊峰富士を眺める時、

清水海軍航空隊がここにあり、わたくしたち甲飛練習生の跡であると、

そして更に後世に戦争の悲惨さを伝え平和の尊さを願いながら、

この碑を建立しました。

 

 

 

 

 

現場の写真

 

 

全景

 

碑の名称

 

碑文

「 太平洋戦争の末期ここ三保の地に清水海軍航空隊ありき、

 大空に雄飛せんと集いし若人海軍甲種飛行予科練習生が

 日夜厳しき教育と訓練に明け暮れし所なり

  往時の面影すでになし われら再び戦争の惨を起さず

 今ここに久遠の平和を念じつつ記念の碑を建立す」

 

昭和63年8月吉日  

 

 

 

清水灯台

 

全景

 

説明文

 

 

三保には震洋隊の名残も

 

静岡市清水区三保、海軍航空隊・震洋隊記録(2015年訪問・再編集版)

 

 

 

 

戦跡参考記事

 

 

 

 
 

父島海軍航空隊の名残

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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