小笠原マルベリー

父島海軍航空隊の名残


 

 

概要

 

1939年に開設された父島海軍航空隊。

大村地区に基地や水上機のスロープ、

洲崎に飛行場、夜明平に送信所などがありました。

 

基地だったところは

海上自衛隊父島基地分遣隊になっています。

スロープはそのまま残り、

救難飛行艇の来航時に利用しています。

 

洲崎の飛行場は1937年にできています。

跡地はどこが滑走路かもわからない状態で、

工事資材置き場や樹林などになっています。

掩体壕はありませんが、格納庫壕が残っています。

 

送信所の一部は国立天文台の研究施設となっていますが、

建物やアンテナ土台など残っているものもあります。

 

日本軍の飛行機は全く残っていません。

 

 

 

 

基地

 

現在は父島基地分遣隊で、

まちの端に基地の門があります。

 

高台から見下ろす基地全景 

基地の大部分は埋め立てです

 

父島基地分遣隊の門

 

飛行艇が上陸に使うスロープ

 

  爆撃で52名がなくなった壕

 

父島海軍航空隊壕と慰霊碑(父島基地分遣隊内)

 

監視壕

 

父島海軍航空隊監視壕(大根山)

 

 

 

 

 

飛行場

 

かつて洲崎の浅瀬が

飛行場を作るために埋め立てられた地です。

また、

崖地に飛行機の格納庫として作られた壕が残っています。

 

地図

 

空き地になっているエリア

 

南側の海辺 象鼻崎の岩はかなり削られたよう

 

象鼻﨑・・今・昔(現在と幕末のころの比較)

 

 

 

格納庫壕 

格納庫として使うことはなかったよう

 

父島海軍航空隊飛行機格納庫洞窟(振分山崖下)

 

 

 

 

送信所

 

樹林の中にひっそり残る送信所  

発電所のようです

 

アンテナ土台

 

父島海軍航空隊送信所(夜明平)

 

 

 

 

ツアーでは

 

基地の場所は自衛隊のため、

入ることはできませんので、高台からの遠望だけ。

 

夜明平の送信所は訪問可能です。

この場所は島内観光・戦跡ツアーで訪れます

 

洲崎の格納庫跡は、

足場も悪いので、ほとんど行きません。

 

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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