「覇王の家」(司馬遼太郎)
目次
「覇王の家」(司馬遼太郎)
概要
1973年発行、「覇王の家」(司馬遼太郎)
司馬遼太郎 『覇王の家〔上〕』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)
司馬遼太郎 『覇王の家〔下〕』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)
タイトルだけだと、ピンとこない人もいることでしょう。
覇王ということで、国を統一した人という想像はつくのではないでしょうか?
「覇王の家」とは徳川家のこと。
本書は徳川家康の生涯を描きます。
しかし、関ヶ原の戦いや大坂の陣については書かれていません。
司馬作品で「関ヶ原」「城塞」が、同時期に書かれていたので、
重複を避けたのかなと思います。
小牧・長久手の戦い以降は、
一気に飛んで、隠居した家康の末期となります。
感想
本書を読んだのは
最近の旅で、中京地方を訪れ、
家康にご縁のある場所(城・神社)を訪問したからです。
岡崎城、浜松城、駿府城、久能山東照宮など。
その後、大腸ポリープを取るため入院するので、
入院中の読書用に本書を買いました。
僕はまだ「関ヶ原」「城塞」は読んでいません。
この2冊も読んで、
家康の生涯をすべて把握することになると思います。
読んでいて、
関ヶ原と大坂の陣が抜けていると、物足りなさがありました。
ただそこを書き込むと、
上・下2巻ではなく、5-6巻以上になることが予想されますね。
家康は三河地方が地盤でした。
家康と家臣は強固なつながりがありました。
三河の保守的な、粘り強い特性もあわせて、
強い兵力でした。
家康には先進性は全くなく、前例などを踏襲しながら、
地道に領地を広げていき、最後には覇王となりました。
まさに保守的な幕府の地盤を作ったのですね。
そういう家康ですが、三方ヶ原の戦いだけはよく解せません。
家康の人生でもかなり特異な戦だったと思います。
武田軍は京へ向かう西進の途中だったので、必戦という状況ではなかったはず。
負けるべくして負けた戦いとも言えます。
司馬作品参考記事
司馬遼太郎: マルベリーの日記&小笠原情報箱 (seesaa.net)
家康参考記事
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