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「覇王の家」(司馬遼太郎)


 

「覇王の家」(司馬遼太郎)

 

概要

 

1973年発行、「覇王の家」(司馬遼太郎)

司馬遼太郎 『覇王の家〔上〕』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)

司馬遼太郎 『覇王の家〔下〕』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)

覇王の家 – Wikipedia

 

タイトルだけだと、ピンとこない人もいることでしょう。

覇王ということで、国を統一した人という想像はつくのではないでしょうか?

 

「覇王の家」とは徳川家のこと。

本書は徳川家康の生涯を描きます。

しかし、関ヶ原の戦いや大坂の陣については書かれていません。

司馬作品で「関ヶ原」「城塞」が、同時期に書かれていたので、

重複を避けたのかなと思います。

 

小牧・長久手の戦い以降は、

一気に飛んで、隠居した家康の末期となります。

 

 

 

 

感想

 

本書を読んだのは

最近の旅で、中京地方を訪れ、

家康にご縁のある場所(城・神社)を訪問したからです。

岡崎城、浜松城、駿府城、久能山東照宮など。

 

その後、大腸ポリープを取るため入院するので、

入院中の読書用に本書を買いました。

 

僕はまだ「関ヶ原」「城塞」は読んでいません。

この2冊も読んで、

家康の生涯をすべて把握することになると思います。

 

読んでいて、

関ヶ原と大坂の陣が抜けていると、物足りなさがありました。

ただそこを書き込むと、

上・下2巻ではなく、5-6巻以上になることが予想されますね。

 

家康は三河地方が地盤でした。

家康と家臣は強固なつながりがありました。

三河の保守的な、粘り強い特性もあわせて、

強い兵力でした。

 

家康には先進性は全くなく、前例などを踏襲しながら、

地道に領地を広げていき、最後には覇王となりました。

まさに保守的な幕府の地盤を作ったのですね。

 

そういう家康ですが、三方ヶ原の戦いだけはよく解せません。

家康の人生でもかなり特異な戦だったと思います。

三方ヶ原の戦い – Wikipedia

武田軍は京へ向かう西進の途中だったので、必戦という状況ではなかったはず。

負けるべくして負けた戦いとも言えます。

 

 

 

 

 

司馬作品参考記事

 

司馬遼太郎: マルベリーの日記&小笠原情報箱 (seesaa.net)

 

 

 

 

家康参考記事

 

静岡市・久能山東照宮再訪(’21/5月訪問)

 

愛知県岡崎市「岡崎城」(’21/5月訪問)

 

静岡県・浜松城(’21/5月再訪)

 

静岡県庁別館から見下ろす駿府城公園(’21/5月再訪)

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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