「朝陽丸水主の墓」(咸臨丸墓地内)
目次
「朝陽丸水主の墓」(咸臨丸墓地内)
概要
咸臨丸墓地の一角にある、「朝陽丸水主(かこ)の墓」。
三代吉、金右エ門、忠蔵と、3人の名前が刻まれています。
水主とは下級船員のことです。
彼らは塩飽諸島出身です。
塩飽諸島の水主は
幕府の軍艦に多く乗り込んでいました。
1862年、
朝暘丸は咸臨丸と入れ替わるように小笠原に来ました。
その次の航海では、八丈から移民団を乗せてきました。
彼ら3人はその航海の時に、
麻疹(はしか)で亡くなったものといわれています。
<文面>
文久2戌
8月25日 櫃石島(ひついしじま) 三代吉
8月27日 高見島(たかみしま) 金右エ門
8月29日 佐柳島(さなぎしま) 忠蔵
と書かれています。(碑文は旧字体)
現代の世では、
名字と名前があるのが当たり前。
しかし、この時代、
武士や一部の人を除き、名字はつけられなかったです。
だから墓碑には
島名と俗名(生存中の名前)が3人かかれています。
有名なジョン万次郎(中濱万次郎)だって、
幕府に取り立てられまでは名字はなかったでしょう。
中濱という名字は、
彼が生まれ育った「中ノ浜」からでしょう。
墓の様子
咸臨丸墓地の一番右手前にある
墓
文久2戌
8月25日 櫃石島(ひついしじま) 三代吉
8月27日 高見島(たかみしま) 金右エ門
8月29日 佐柳島(さなぎしま) 忠蔵
見るには?
奥村咸臨丸墓地にあります。
咸臨丸墓地は、
夜明道路沿いで、看板もあります。
歴史ツアーで紹介しています。
景観ツアーで寄ることもあります。
参考