小笠原マルベリー

上皇・上皇后「行幸啓記念」碑(行幸啓時、天皇・皇后)


 

上皇・上皇后「行幸啓記念」碑(行幸啓時、天皇・皇后)

 

概要

 

お祭り広場の通りに面した側には、

「行幸啓記念」碑が建立されています。

この場所は、

すぐそばのビジターセンターを訪問されています。

 

昭和天皇の行幸碑の隣です。

昭和天皇の行幸のときは、

ここに大村尋常高等小学校があり、そこを訪問されています。

昭和2年7月30日から8月1日にかけて。

 

行幸啓は

平成6年(1994年)2月12-14日にかけて。(硫黄島を先に訪問してから)

 

現在(2021年)は上皇と上皇后ですが、

当時は天皇皇后でした。

 

2/12はまず硫黄島で慰霊に行かれました。

2/12と13は父島で宿泊。

 

「小笠原行幸啓」、父島での夕食メニュー(1994年2月13日)

 

2/13は父島、2/14は母島を視察後、

島を飛び立ちました。

 

行幸啓には、自衛隊機(輸送機、飛行艇、ヘリなど)で、

島間の移動はすべて空路です。

空路での移動なので、2/12-14という3日間で、

東京発東京戻りができています。

 

行幸啓後

行幸啓誌が発行されたり、碑が建立されたりしました。

 

 

 

 

エピソード

 

上皇のエピソードとして

この旅は硫黄島での慰霊から始まり、

この旅から、国内外の慰霊の旅が始まったといわれています。

 

上皇后さまのエピソードとして

しばらく声が出なかった時で、小笠原で声が出るようになったそうです。

これが偶然なのか、

小笠原の環境やおもてなしのせいかはわかりません。

 

 

 

 

行幸啓場所

 

2/12硫黄島

天山慰霊碑、鎮魂の丘、硫黄島航空基地など。

 

2/13父島

小笠原亜熱帯農業センター、小港海岸、小笠原水産センター、

奥村運動場、小笠原ビジターセンター、都立小笠原高等学校など。

 

2/14母島

母島村民会館、ロース記念館など。

 

*役所での説明場所や昼休憩場所は省略

 

 

 

 

 

行幸啓誌

 

外カバー表紙

本誌は全戸配布されたと記憶しています。

 

本体1枚目写真

 

 

 

「行幸啓記念」碑

 

左に昭和天皇行幸碑

 

 

正面  行幸啓記念

 

 

裏面

 

裏面文

「平成6年2月12日 行幸啓

 天皇皇后両陛下行幸啓記念碑

 建立事業実行委員会 建立

 安藤光一(当時の村長) 謹書」

 

 

 

 

 

見るには?

 

 

お祭り広場の道路に面したところにあり、

すぐわかると思います。

 

歴史ツアーでは定番の場所です。

歴史・史跡ツアー

 

 

参考

 

小笠原・父島の史跡・碑

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    この記事を書いた人

    吉井 信秋

    大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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