小笠原マルベリー

小笠原諸島戦没者追悼之碑「鎮魂」


 

小笠原諸島戦没者追悼之碑「鎮魂」・平和の鐘

 

概要

 

奥村運動場の脇にある「戦没者やすらぎの郷」。

その中に、

小笠原諸島戦没者追悼之碑「鎮魂」・平和の鐘があります。

平成6年(1994)11月吉日建立されたものです。

 

この碑の建立にはかなりの寄付金が集まりました。

碑の裏面には寄付者の名前が刻まれています。

 

寄付金が予想以上に集まったことで、

隣接して「平和の鐘」設置、

大滝「大滝旧陸軍病院戦没者」碑設置なども決まりました。

 

島に住んでいると、

いまだに、至る所に戦跡が見られます。

父・母は地上戦がなかったとはいえ、

島の周辺には多くの沈没船もあります。

沈没船では数千人の死傷者が出ています。

そして硫黄島は戦場になり、

多くの将兵・軍属がなくなりました。

 

小笠原の住民は強制疎開させられ、

直接には戦禍に巻き込まれていません。

しかし、返還まで、ほとんどの方が戻れませんでした。

 

観光で来島の方は、

こういうことを知らない方が多いです。

こういう歴史を少しでも知っていただければ幸いです。

鎮魂・合掌。

 

 

 

 

現地の様子

 

戦没者やすらぎの郷 全景

 

小笠原諸島戦没者追悼之碑「鎮魂」

碑は表面3つと裏面とに分かれる

 

 

右・碑文

 

あの太平洋戦争が終わって五十年になります

今日も亜熱帯の小笠原は 

飽くまでも蒼く澄んだ海と 

豊かで深い緑の色を変えることのない山と 

そして広く近く光り輝く空の星などに恵まれて 

私たちを温かく優しく 

強く抱えこんで変わることがありません

その愛する故郷小笠原と 

小笠原の同胞の生命と 

祖先の永遠を願いながら 

国土防衛の第一線で貴い生命を捧げられた多くの方々に思いを致すとき 

悲しみは深まるばかりです

それだけに 

私たちに与えられている今日の「生」は

尊い犠牲の上にあることを 

片時も忘れてはならないのです

貴い生命を捧げられた方々のご冥福を心からお祈りするととも 

生きる者の責任と知恵によって 

小笠原を平和で豊かな島として創り続けることをお誓いして 

この碑を建立します

 

平山秀親

 

中央・旧陸海軍駐屯地

 

左・由来文

 

この碑は 

昭和二十年(一九四五年)八月の太平洋戦争終結までに 

小笠原諸島及び周辺の海域において 

戦没された二万四千余柱の御霊を祭るものです

戦後すでに半世紀が過ぎ 

あの忌まわしい戦争の記憶も時の流れとともに薄れつつあります

私達残された者は 

この記憶を途絶えさせることなく後世に伝えなくてはなりません

これを「志」として 

戦没者の慰霊と世界平和への願いをこめ 

小笠原諸島戦没者追悼碑を建立しました

碑銘の揮毫は小笠原村名誉村民横田政次氏 

碑文は財団法人小笠原協会会長平山秀親氏によります

戦後五十年の節目の今日 

私達はここに集い 霊前にぬかずき 

戦争の真実の姿について考えます

今は亡き人々 失われた故郷の暮らしに想いを馳せ 

不幸にも 今なお戦火の絶えぬ地を思うとき

私たち平和への意志が揺るがぬように

過去の過ちを再びくり返さぬように

戦没者の御霊に誓います

美しい青い海と深い緑の平和な島 

小笠原で安らかに御霊の鎮まらんことを祈念し 

ここに謹んでその由来を記します

 

小笠原諸島戦没者追悼碑建立委員会

 

 

 

裏面

寄付者の名簿

 

平和の鐘 全景

 

同上 近景

 

 

 

 

見るには?

 

奥村運動場の脇にあります。

都道沿いですぐわかります。

 

戦跡ツアーや歴史ツアーで立ち寄ることがあります。

 

歴史・史跡ツアー

 

戦跡ツアー

 

 

 

 

参考資料

 

小笠原・父島の史跡・碑

 

小笠原・父島の戦跡

この記事を書いた人

吉井 信秋

大阪市旭区生まれ。 茨城県立水戸一高で硬式野球部所属。 北海道大学農学部林産学科(現・森林科学科)卒業。 某企業に就職、栃木県鹿沼市の研究所に配属される。 数年後、異動により東京勤務。さらに数年後、依願退職。 その後、小笠原・父島に移住。 島でいくつかの仕事を経験後、2000年独立開業。 小笠原で山歩き、森歩き、戦跡などの陸域専門ガイドを勤める。

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